たぶん大丈夫なブログ

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「ニュータウン」探訪① 「茨木台ニュータウン(見立区・雁松区)」


今回は、関西地方に数多く存在するニュータウンの中でも一際異彩を放っている「茨木台ニュータウン(以降、茨木台で統一)*1について取り上げてみたい。


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(写真1)「雁松区住宅地(鎌倉台)」から見上げた「見立南区(茨木台)」の景色。山の斜面に切り開かれたニュータウンであることが分かる。本記事を読み進める際の参考イメージとして。なお、本記事で紹介する写真は全て筆者によって撮影したものである。



Ⅰ. 茨木台の概要

茨木台は一体どこにあるのか。(図1)を見てもらおう。


(図1)茨木台の位置を示した地図。茨木市大阪市から見て北、大阪府京都府の府境のすぐ近くに位置しているのが分かる。ここでは「見立自治会館」にピンを刺して表示した。


地図中の灰掛かった地域は建築物の広がる都市、緑色の部分には木々が生い茂っている。ピンの指してある場所は……完全に森の中だ。ちなみにここは、大阪府茨木市京都府亀岡市の府境付近でもある。
大阪平野の端に位置するニュータウン、例えば大阪府豊中市吹田市に跨る千里ニュータウンや、兵庫県川西市宝塚市にかけて広がる山沿いの新興住宅地*2と比べれば確かに山間部に位置すると言えるだろう。
山深い場所に位置するというだけなら、日本全国を見渡せば様々なニュータウンに当てはまる要素だ。何なら関西圏にも、茨木台から車で30分程度の所に位置する大阪府豊能町の「希望ヶ丘(北大阪ネオポリス)」や、もう少し先にある箕面市の「箕面森町(水と緑の健康都市)」*3に代表されるような、自然に囲まれたニュータウンは存在する。
しかし茨木台には特筆すべき点が幾つも指摘できる。様々なブログやサイトで取り上げられているため既に知っている方もいるとは思うが、今ここでもう一度整理してみよう。


1. 「茨木台」という名前を冠しながらも、茨木市内には位置していない(ぎりぎり亀岡市)
まず驚く要素はこれだろう。まるで、「東京」というフレーズを名前に組み込んでおきながら実際は千葉に位置する某テーマパークのようだ。そのため茨木台では、当然ながら住所は京都府亀岡市になるし、停めてある自家用車も京都ナンバーが大半だった。
何故このようなことになったのか。その詳細が「茨木台のWikipedia」や、見立南区の自治会のウェブサイトである「見立南区自治会」の「見立区の沿革」に説明されているので、それらの記述を元に説明したい。
1970年代後半、亀岡市南部と茨木市北部に隣接する山間部の見立地区(亀岡市)に別荘地として松風台が造成された。このような場所に造成された経緯は、茨木市側の府境付近は市街化調整地区であるのに対し亀岡市側は建築基準無指定地域であり、山間部の開発に制限がかからなかったからである。1980年代に入ると、土地バブルにより大阪近郊の地価が高騰した結果、住宅が比較的安価で購入可能であり、自動車を使えば大阪方面へも通勤可能である見立地区にマイホームを求める若い世代の家族が入居してくることになった。この時期に見立北区と南区が造成された。上記の内容をまとめると、「無理に造成したようにも見え、一見奇妙にも見える(府境の: 引用者挿入)稜線上の住宅地は、大阪側への通勤者のニーズに応えるために、亀岡市の中でもできるだけ茨木市に近く、地価も安く、かつ開発可能な場所に住宅地を造成した結果(Wikipediaより引用)」だと言える。


2. 茨木台は標高500m前後の北摂山系中に位置している
調べ尽くしていないため断定はできないが、標高500mの所に造成されたニュータウンは関西圏では茨木台(とその近くに位置する、茨木台と類似した開発経緯を辿った府境沿いのニュータウン北摂ローズタウン」など)を除いて他に存在しないのではなかろうか。
先述した希望ヶ丘や箕面森町でも、標高はそれぞれ400m程度、300m程度であるから、茨木台の標高の高さが突出しているのは明らかだ。それ故に茨木台はそれなりに気温が低くなるし、冬季には雪に覆われることもある。滅多に冠雪しない大阪の平野部とは対照的である。


3. 制約のある住環境
名前にも採用されている茨木市中心街や、実際の住所である亀岡市中心部へのアクセスは、各市内の他地域と比べても良いとは言い難い。車を利用すると、茨木台からJR茨木駅や阪急茨木市駅までおよそ50分、同じくJR亀岡駅まで1時間弱かかる。そこから大阪・梅田方面や京都市中心部まで移動する場合はさらに時間がかかる。
車を利用できない場合はバスに頼ることになるが、茨木台にはバス停やバス路線が存在しない。1.5km程度の道のり(後述するが、比較的整備された山道である)を通って最寄りのバス停「銭原」まで歩かなければならない。この阪急バスの路線は、平日に8本、休・祝日は7本*4なので、フレキシブルに行動するのは困難である。また、このバスを利用しても茨木市中心街まで1時間程度かかる。
アクセスの問題に加えて、道路や水道といったインフラの問題も存在する。詳細は、先程言及した各種サイト(Wikipedia見立南区自治会のウェブサイト)に記載されているので、ここでは概説にとどめておく。
茨木台の道路は公道ではなく、自治会所有の私道であり、維持管理の費用は住民が受け持っている。何故このようなことになったのかというと、バブル崩壊の1991年に茨木台の開発業者が倒産し、道路が銀行や大阪市に差し押さえられており、それを自治会が買い取ったからである。
これだけに留まらない。茨木台の水道施設(飲料水井戸・配水施設・水道管など)も自治会所有であり、維持管理の費用は住民が受け持っている。加えて、見立北区では2004年に新規に飲料用井戸を掘削している。標高500mの山中であり、元々水道が敷設されていなかったということだろう。
さらに付け加えると、茨木台内には商店や病院、学校などの生活に必要な施設が存在せず、アクセスも困難であるという問題も挙げられる。商店に関しては以下の Ⅶ.見立南区 の章でも触れておく。


……上記の項目から、茨木台の特筆性が浮かび上がったのではないかと思う。
こうした要素にも着目して論を展開していきたい。

そして先程から「茨木台」を一括りにして話を進めてきたが、実際には幾つかの地区が集まってできたニュータウンである。
そこで本記事では、他のブログやサイトではあまり焦点を当てられていない、茨木台の各地区の特色を重点的に見ていきたい。そのため、茨木台の出入口に置かれている車止めや水道開栓の費用を記した看板など、茨木台を知る上で欠かせない要素は一通り紹介するものの、あまり掘り下げずに進んでいく(とは言いつつも、やっぱりしっかり言及しておきたくなる性分)。


ここまではひたすら文字による説明だったので、これからは地図と写真を適宜交えながら進めていきたい。ちなみに地区を紹介する順番は、茨木台を訪れた際に巡り歩いた経路に沿っている。


目次




Ⅱ. 茨木台の3地区と雁松区の地理情報

一概に茨木台と言っても、実際には幾つかの地区に分かれているのは先述した通りだ。では、それらの地区の地理関係はどうなっているのか。それを示したのが(図2)だ。

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(図2)茨木台の3地区(見立北区・見立南区・松風台)と鎌倉台(雁松区)の地理関係。オープンストリートマップ(OSM)をスクリーンショット、加工した。


(図2)の通り、茨木台は見立北区・見立南区、松風台の3地区に分けられている。茨木台の東側(坂を下った先)には、厳密には茨木台とは別のニュータウンであるものの、鎌倉台(雁松区住宅地)も存在している。この雁松区についても本記事で紹介していく。
なお、(図2)中にある A や B といった記号群は特徴的な場所を示している。これらについては、次の章 Ⅲ.茨木台の出入口 で取り上げていく。

さて、(図2)からどのようなことが分かるだろうか。実は、(図2)に表示されている情報だけでは各地区について満足に記述することができない。そこで、地理院地図(図3)とグーグルマップ(図4)、そして空中写真(図5、図6、図7)*5を参照しつつ話を進めていきたい。


まずは(図3)から。


(図3)地理院地図で表示した茨木台。等高線の様子から、府境が引かれている尾根のすぐ下に茨木台が形成されていることが分かる。


(図3)の地理院地図を見ると、茨木台に引かれている等高線が判読できる。(図2)も、等高線が表示される「OSM Cycling Map」をベースレイヤにして作成したとは言え、地理院地図の方が等高線も他の要素(住居など)も明瞭かつ詳細に表示されており、参照しやすい。

さて、(図3)から何を読み取れるだろうか。
目に付くのは、見立北区・松風台と見立南区の道路の引き方の違いである。見立北区と松風台は道路が梯子のように造成されている。つまり、別の段の区画へ移動する際には勾配のきつい道路を上り下りしなければならない。特に松風台の坂道は見立北区と比べて等高線の間隔が狭いことから、かなりの急勾配であると推察される。(この辺りの話は、後の Ⅴ.松風台 の章にて詳しく取り上げる)。
それとは対照的に、見立南区の道路はできるだけ勾配を減らすように造成されている。別の段の地区へ移動する場合は、見立北区と南区を隔てる茨木台のメインストリートまで行き、そこを経由するか、地区内に僅かに存在する梯子のような道路を上り下りしなければならないデメリットはあるものの、見立北区や松風台と比較して坂道が長くならないよう抑えられている。
概して、見立北区・松風台の道路と等高線の関係は垂直的、見立南区の場合は水平的と言えるだろう。

また、茨木台の標高についても触れておきたい。実は、周囲の山々も含めて標高を比較した際、松風台の上部が最高点(標高556m)を示しているのである。木々に覆われた周囲の山々よりも高い所に位置するニュータウンが茨木台には存在するのだ。その分見晴らしも良さそうだが、果たしてどうなのか……? また後程答え合わせをしてみたい。


さて今度は(図4)である。


(図4)グーグルマップで表示した茨木台*6。航空写真であるため、茨木台に点在する住宅や空き地などが一目瞭然である。


(図4)のグーグルマップの航空写真(地理学的には「空中写真」の呼称の方が適切)を見ると、茨木台に造られた道路、点在する住宅や空き地が判読できる。

さて、(図4)から何を読み取れるだろうか。
全体的に言えるのは、見立北区と南区には住宅が比較的多く建てられており空き地があまり目立たないのに対して、松風台の住宅はまばらであり、最上部の区画に至っては完全に木々に覆われているということである。これでは、せっかく標高がある松風台でも見晴らしは大して良くなさそうだ(このことに関しては、 Ⅴ.松風台 の章でも確認したい)。概して、見立北区と南区の方が居住者の数が多く、松風台は少ないと言えるだろう。
今度は各地区内の差異を見ていこう。見立北区は大まかに、上部ブロックと下部ブロックで分けられている(ブロックが横にずれているのが地図から読み取れるはずだ)が、上部ブロックの方が建物の数が少ないように見受けられる。この傾向は松風台にも当てはまる。考えられる理由としては、(図3)でも検討したように、上部ブロックへアクセスするには急勾配の坂道を上る距離が増えてしまうからだろう。
それでは見立南区の場合はどうか。見立南区の上部ブロック(西側)の方が、下部ブロック(東側)よりも建物の数が多いように見受けられる。これは見立北区や松風台とは異なる傾向だが、どういうことなのか。これは、アクセスのしやすさに関して上部ブロックと下部ブロックで差異がほとんど見られないことから、より上部の区画の方が人気が高まった結果だと考えられる。
見立南区に関してさらに指摘できるのは、北側より南側の方に住宅が多く建てられているように見受けられるということである。その理由は、見立北区や松風台の立地と比較することで浮かび上がってくる。見立北区や松風台は南向きの斜面に造成されているため、どの建物も日光を浴びやすい。唯一の例外が、両地区の端に位置する区画である。大半の区画は等高線に沿っているので東西に長く日光を受けやすい一方で、端の区画は南北に長く玄関の位置が東か西を向くことになるため、住宅が南に面するのは難しくなる。それ故、端の区画は他の区画と比べて人気が落ち、あまり住宅が建てられていないのだろう。
それに対して、見立南区は東向きの斜面に造成されている。つまり、多くの住宅が見立北区や松風台における端の区画と同じ条件になる(日光が当たりにくい状態)。そこで、少しでも日光が当たりやすい南側に住宅が多く建てられたと考えられる。


そして一連の空中写真だ。最初は(図5)から。


(図5)空中写真(地理院地図による表示)で見る、1975年時点での茨木台。1975年1月7日撮影。


(図5)も空中写真であるが、(図4)のグーグルマップとは撮影時期が異なっている。(図5)の撮影日は、ほぼ日本全国にかけて撮影が行われた第1期(1974年から1978年にかけて)の最中である1975年1月7日である*7

さて、(図5)には森林しか表示されていないが、どういうことなのか。実は、1975年時点における(図3)や(図4)のような茨木台が造成された範囲が表示されているのだ。つまり、1975年時点では一番早く造成され始めた松風台も含めて茨木台の開発は行われていなかったことが分かる。ただし、現在の茨木台の範囲が若干薄く表示されていることから、木が切り倒されて草地へと転換されている最中であり、開発の前段階である可能性も指摘できる。


(図6)では時代をもう少し現代に近づけてみよう。

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(図6)空中写真で見る、1982年時点での茨木台。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より、CKK822・コース番号:C13/写真番号:7/撮影年月日1982/10/13(昭57)を加工した。


(図6)では、1982年時点での茨木台とその周辺が撮影されている。注目してほしいのが、1975年時点では見られなかった、松風台と見立北区が図中の中央上部に造成されている点である。そしてこの時点では見立南区はまだ造成されていないことも分かる。
上記の内容から、松風台と見立北区は1975年から1982年の間に造成されたということが判明した。また住宅の乏しさから、見立北区は1982年に造成されて間もないと推察される。そして先述した通り、松風台は見立北区よりは以前に造成されたと考えられる。ちなみに、松風台内に木々が繁茂している理由は、造成から時間が経過して新たに木が芽吹いたからなのか、森林を切り開く際に取り残されていたからなのか判然としない。


(図7)では時代をさらに現代に近づけてみよう(とは言え1980年代からは抜け出せないが)。


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(図7)空中写真で見る、1987年時点での茨木台。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より、CKK871・コース番号:C13A/写真番号:8/撮影年月日1987/09/29(昭62)を加工した。


(図7)では、1987年時点での茨木台とその周辺が撮影されている。図中の左上に注目してほしい。見立南区が新規に造成されているのが分かる。
上記の内容から、見立南区は1982年から1987年の間に造成されたということが判明した。また住宅の乏しさから、見立南区は1987年に造成されて間もないと推察される。見立北区といい南区といい、造成されたタイミングが空中写真の撮影時期と上手い具合に重なっている。


最後に、これまで触れてこなかった雁松区について概観しておきたい。(図3、4、5)及び(図7)にも言及するので、各図を適宜動かして確認してほしい。

まず(図3)で雁松区を見てみると、茨木台の各地区と比べて傾斜の緩やかな、台地状の場所に造成されていることが分かる。また、僅かではあるが茨木台よりも亀岡市に近い場所に造成されている。ただ、アクセスのしやすさは車を利用する場合であれば誤差の範囲内であろう。
次に(図4)で雁松区を見てみると、住宅がまばらに分布しているのが読み取れる。住宅の密度に関しては茨木台と同程度であると言えるだろう。
そして(図5)で雁松区を探してみる。……見当たらない。茨木台の各地区と同様、雁松台は1975年時点では造成されていないということである。では時代が変わり、1987年時点ではどうなのか。(図7)の赤丸で囲まれた範囲を見てほしい。……何もない。逆に言えば木々しか見えない。(図7)から、1987年時点でも雁松台は造成されていないということが分かる。もう少し後になってから雁松区は造成されたのだろう。

上記の内容を踏まえると、松風台→見立北区→見立南区→雁松区の順でニュータウンが造成されたと考えられる。


なお、ここから少し(注釈に回すよりは本文中で述べておきたい)余談に入らせてほしい。(図2)を作る際に困ったのは、これらの地区を明記した地図が地理院地図、グーグルマップ含め、一切見当たらないということ*8だ。Wikipediaで挙げられている写真とその説明から、見立北区・見立南区・松風台をそれぞれ区分してみたが、どこかに誤りが含まれているかもしれない。実際にWikipediaの内容だけでは、見立北区と松風台の間にある区画(「見立自治会館」が建っている区画)はどちらの地区に帰属するのか、あるいは独立した地区なのか判然としなかった(本記事では松風台に区分した)。

また、地図によっては誤った道路情報が掲載されていることもある。オープンストリートマップ*9の表示では、見立北区と松風台の上部が道路で繋がっているが、これは誤りである。グーグルマップや地理院地図といった他の地図サイトにおいても、表示するスケールによっては存在しない道路が表示されたり、逆に表示されるべき道路が消滅していたりした。関連して、グーグルマップで表示される道路情報と、空中写真や衛星写真で確認される道路がずれているということもあった(図4が好例である)。茨木台のように、地図情報に誤りが見られる(もしくは、最新の情報ではないため廃道が表示されたり、無くなった建物がそのまま残っていたりする)場合があることに留意しておきたい。一般的に、離島や中山間地域ではこうした傾向がより顕著になる。

余談はこのくらいにして、今度こそ各地区をつぶさに見ていきたい……と言いたいところだが、茨木台を特色付ける要素として忘れてはならないのが出入口である。次の章では写真も適宜挟みながら、茨木台の出入口を概観していく。


Ⅲ. 茨木台の出入口

各地区を紹介する前に、茨木台へとアクセスする際に通ることになる出入口を概観しておきたい。


まずは、茨木台を紹介するテレビ番組やウェブサイトならほぼ必ず取り上げるこの出入口(写真2)。場所は、(図2)中のA地点である。

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(写真2)茨木台の出入口(茨木市方面)に設置されたポールの車止め。


道路の真ん中にポールの車止めが置かれている。歩行者はポールの間をすり抜けられるが、車は左側に幅寄せして通るしか道が残されていない。茨木台から茨木市方面へと下る際には反対車線へと飛び越えて、右側に幅寄せすることになる。また、この車止めを通り抜けられるのは普通車までに限られるため、バスやトラックなどの大型車は門前払いされる。

何故このような不便な車止めが設置されているのか。実は看板にも書いてある通り、ここから先は茨木市青少年野外活動センターの敷地になっているため、通行が制限されているのである。茨木台の住民の生活道として辛うじて車一台分が通過できるようにされている。
一見不便極まりないが、実はこの車止めは茨木台にとってメリットもある。Wikipediaにも書かれている通り、結果的に車止めが置かれていることでダンプカーなどの大型車が茨木台の道路を利用してショートカットすることを防いでいる。敷地内の道路が自治会所有であり維持管理の費用が住民負担となる茨木台にとって、車の往来は死活問題だろう。


さて、A地点を少し進んでみると、(写真3)の光景に遭遇した。今度の場所は、(図2)中のB地点である。

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(写真3)茨木台の出入口(茨木市方面)に設置されたコンクリートブロックの車止め。


何と車止めがA地点とB地点で二ヶ所も存在するのだ。二段構え、恐るべし。
ただ、最初の車止めを通過できたならば難なく通れそうである……。設置理由は何であろうか。ひょっとすると、茨木台側から茨木市青少年野外活動センターの敷地へとアクセスする車をふるいにかけているのかもしれない。
ちなみにコンクリートブロックには迷子の犬を探しているとの案内が貼られていた。迷子犬の無事を祈りたい。


先程までは茨木台から大阪府茨木市に連絡する出入口について紹介してきたが、今度は京都府亀岡市側の出入口を見ていきたい。(図2)の C地点 に該当する。

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(写真4)茨木台の出入口(亀岡市方面)。

農道に突如現れる分岐点。ここを右折すると茨木台へと進むことになる。写真の右側には、山の斜面に造成された見立南区が確認できる。


これまで見てきた出入口に置かれている看板から分かるのは、注釈1でも記したように茨木台はあくまで俗称であり、「見立」こそが正式名称だということである。(写真3)の看板では亀岡市見立(茨木台)」と、茨木台の方が括弧で括られている。(写真4)でも小さく看板が写っているが、赤い矢印の上「見立」と記されていることからも、やはり「見立」の方が正式名称であることを匂わせている。
「茨木台」と呼ぶことが多い外部と、もっぱら「見立」と呼ぶ内部とで呼称の乖離が生じているということだろう。


茨木台の出入口の紹介はこれくらいにして、いよいよ次の章では各地区について詳述していきたい。


Ⅳ. 見立北区

さてこの章からは写真も交えて各地区の詳細を記述していこう。その際に Ⅱ.茨木台の3地区と雁松区の地理情報 の章で確認した内容とも照らし合わせていきたい。


茨木市側から見立北区にアクセスすると、まずこの看板が出迎えてくれる(写真5)。

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(写真5)「見立住宅内は、自治会の道路です。」と記された看板。


看板には、「見立住宅内は、自治会の道路です。」と記されている。これは、 Ⅰ.茨木台の概要 の章で触れた茨木台の道路は自治会所有の私道であるということを端的に示している。
また看板の記載には続きがあり、「2トン車以上及びキャタピラー車は通行禁止」や「部外車両の通行については、また、住宅の建設についても事前に自治会と協定を結ぶこと」と書かれている。これは、 Ⅱ.茨木台の3地区と雁松区の地理情報 の章で触れたポールやコンクリートブロックによる車止めに関連する内容だ。


……全然ニュータウンの雰囲気が伝わってこないので、それを打破する写真をそろそろ紹介していこう。(写真6)は見立北区を上っていく道路を撮影したものである。

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(写真6)見立北区の坂道、その1。


坂道の両脇に住宅が並んでいる。こうして見ると、茨木台も一つのニュータウンとしての景観を呈していることが分かる。


では次に、(写真6)の坂道から少し下った所で撮影した(写真7)を紹介しよう。

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(写真7)見立北区の坂道、その2。


両方の写真に写り込んでいる青い屋根の家が基準点となる。(写真6)では住宅が多く見られた一方で、(写真7)では土台だけの空き地が目立つ。これは、 Ⅱ.茨木台の3地区と雁松区の地理情報 でも述べたように、見立北区ではより日光が当たりやすい上部ブロックに住宅が建てられやすいという傾向を如実に示している。
また、写真左側の端の区画の土台に使用されている岩が大きいままで積まれており、あまり加工されていないのも、高級住宅街や別荘地の雰囲気を偲ばせる。


今度は、等高線に沿って引かれた道路とその両側に建つ住宅を撮影した(写真8)を紹介したい。

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(写真8)見立北区の一風景。


(写真6)と同様、少々空き地が多いことを除けば茨木台もニュータウンであることに違いはないと、(写真8)を見ればはっきりと分かる。
写真左側の区画は階段を上らなければアクセスできないため、右側の区画と比べて空き地が多いと推察される。


こんな感じで見立北区を観察しながら上っていると、とうとう最上段まで辿り着いた。その見立北区の最上段から見下ろした景色が(写真9)である。

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(写真9)見立北区の最上段から見下ろした景色。大阪・梅田のビル群がうっすらと見える。


実に優れた景色だった。眼下には空き地を有効活用した太陽光発電のパネルが見える。階段を上らないと辿り着けない区画であるため、住宅があまり建てられなかったのだろう。そのお陰で見晴らしの良さに関しては茨木台随一である。
写真中央部に目を凝らしてみると、灰色がかったものがうっすらと見える。実はこれ、大阪・梅田のビル群である。緑に囲まれた山中に位置する茨木台――大阪まで車でおよそ1時間、直線距離にして25km、標高550m弱の地点――から見える、大都会大阪のビル群の姿。その感動たるや。空を飛べない人間だからこそ味わえる感動であろう。


さて、そろそろ見立北区を下って松風台へと向かってみる。松風台に隣接した見立北区の坂道が(写真10)である。

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(写真10)松風台に隣接した、見立北区の坂道。


写真右側に所々残っている雪が見立北区の端の区画の日当たりの悪さを示している。また草木の生い茂り方からして、見立北区が造成されて以来、住宅が建てられてこなかったのだろうと推察される。
見立北区の片隅には、松風台の名前にも採用されている「松」の木が立派に育っていた。


Ⅴ. 松風台

見立北区を一通り紹介し終えた所で、今度は松風台について述べていきたい。


松風台を特徴づけるのは木々と坂道である。どういうことなのか、早速(写真11)を見てみよう。

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(写真11)茨木台のメインストリート近くから見上げた、松風台の坂道。


生垣もあるため一概には言えないが、坂道の両側には草木が生い茂っている。住宅の数が他の地区と比べて少ない松風台では、草木の管理があまり行き届いていないのだろう。
そして近くからではなかなか伝わらないかもしれないが、この坂道が実に急勾配なのである。少し離れた場所、つまり反対側に位置する見立南区側から撮影した(写真12)で、その急坂具合を確認してほしい。

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(写真12)見立南区から撮影した、松風台の坂道。松風台の2本の坂道が奥に見える。手前に写っている住宅街は見立南区である。


……確かにこの勾配具合は、坂の上に雪が積もった日にはスキージャンプで使用されていると言われてもおかしくない。
この坂道については、過去3回も記事にした石澄滝*10の道中を把握する際に大いに参考にさせて貰ったブログ、「路面と勾配 f/k/a 北摂ひっそり」の「【茨木市/亀岡市】茨木台(見立地区)街中が激坂 - 路面と勾配 f/k/a 北摂ひっそり」の記事内でも、「上る気も起きない(中略)冗談みたいな坂」であると述べられている。

なお(写真12)に工事中の建物が写っているが、これは(図4)で表示されている「見立区集会所」でないかと思われる。


松風台の坂道をある程度上った所から見下ろした景色が(写真13)である。

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(写真13)松風台の坂道から見下ろした景色。木が邪魔で景色があまり見えない。


500mを超える標高だけに景色は素晴らしいが、生い茂る木々に隠れて反対側の見立南区がいまいち見えない。Ⅱ.茨木台の3地区と雁松区の地理情報 の疑問(松風台は見晴らしが良いのかどうか?)の答え合わせとしてはこのような感じだろうか。
また、見上げるよりも見下ろす方が坂道の急勾配具合を確認しやすいようである。この坂道を見下ろしていると、ボールを落としたら無限に転がり落ちていってしまいそうと思ってしまう。


そのような急勾配を誇る松風台の最高点は標高556mであるが、周囲の光景は(写真14)の通りである。

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(写真14)松風台の上部ブロックの光景。整備された区画であろうとお構いなしに木々が生い茂っている。


……本当に住宅街なのだろうか。完全に木々が生い茂っている。
僅かに見えるコンクリートブロックの土台だけが、かつての宅地造成の痕跡を偲ばせる。造成経緯から推察するに、松風台は最初は別荘地として売り出したものの、周囲に見立北区や南区が造成されて住宅地となるのに従って住宅地へと転換されていったのだろう。しかしながら、せっかくコンクリートブロックなどで区画を整理した松風台は、他の地区と比べてあまりにも坂道の勾配がきついため買い手があまりおらず、そのまま放置されてしまったのだろう。その結果が(写真14)である。
文明が崩壊した後の住宅地の姿を先取りしているように思われた。


そして忘れてはならないのが、(図1)中でもピンを刺した「見立自治会館」である(写真15)。

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(写真15)見立自治会館。


(図4)のグーグルマップを見ても分かるように見立自治会館は松風台の区画内なのかという疑問は残るが、他の地区では紹介しにくいためこの章に挿入しておこう。
白亜のコンクリート造り、なかなか立派な建物である。茨木台における公民館のような役割を果たしているのだろう。


Ⅵ. 雁松区

松風台を抜けて、茨木台のメインストリートを下っていると雁松区が見えてきた(写真16)。

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(写真16)茨木台のメインストリートの道中から撮影した、雁松区の様子。


写真中央から若干右寄りに見えるニュータウンが雁松区である。他の地区と比べてこじんまりとした雰囲気が漂う。また、一番新しい地区というだけあって、住宅も他の地区と比較して全体的に新しく見えた(トートロジーのような当然さ)。


さて、坂道を下ること20分弱、雁松区に到着した(写真17)。

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(写真17)雁松区の光景。奥には(写真1)でズームアップした見立南区が見える。


元々の住宅数が少ないだけあって、空き地1つ1つが広々としているように感じる。その点を除けば、一般的にイメージされるニュータウン像に一番近いのは雁松区であると言えそうだ。


雁松区内を散策していると、空き地内にちょっとスタイリッシュな看板を見つけた(写真18)。

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(写真18)空き地に立つ、スタイリッシュな看板。何故か字体から漫画・アニメの「日常」を想起してしまった。


この看板、茨木台を知るきっかけになった「茨木台ニュータウン (京都府亀岡市) - 大阪DEEP案内」の記事においても紹介されている。この記事が執筆されたのが2009年10月であるから、看板は9年以上も立てられたままということだ。それはつまり、空き地も9年以上残されたままということを意味している。買い手がなかなか見つからないのだろう。


そして茨木台を語る上では欠かせない、この看板も発見した(写真19)。

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(写真19)雁松区の「水道」に関する案内板。


「当雁松住宅内の『水道』は地下水を組み上げて、飲料水として供給しており住民による『自主管理』により運営されています」と書いてあるように、水道を利用するには住民が維持管理を行わなければならないということである。茨木台や雁松区の地価自体は安くても水道開栓のような初期投資、そして維持管理にかかる費用を勘案すると、トータルではあまり安価とは言えないのではなかろうか。


あと雁松区において特筆すべきなのは、茨木台の他の地区と異なり、ストリートビューによる閲覧が可能ということである(図8)。


(図8)雁松区のストリートビューストリートビューなのに、本記事では便宜上「図」に分類される、何とも奇妙な状況である。


見立北区や南区、松風台は私道であるためにグーグルも撮影できなかったのだろう。逆に言うと、ストリートビューが存在するということは、雁松区の道路は公道ということになる。
本記事の内容だけでは物足りないという方は、上記のストリートビューから雁松台の姿を確認してほしい。


Ⅶ. 見立南区

さていよいよ(むしろやっとか)、見立南区の紹介へと入っていこう。


茨木市側から見立南区へアクセスするとまず目にするのが、(写真20)の「茨木台ニュータウン コンビニエンスストアー 高田屋」の文字である。

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(写真20)「茨木台ニュータウン コンビニエンスストアー 高田屋」の文字。かつてはヤマザキパンを取り扱っていたことを示す看板がどこか寂しい。


この店舗を正面(というか斜め横)から見ると(写真21)の通りである。

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(写真21)コンビニエンスストアー高田屋を正面(というか斜め横)から見る。


コンビニエンスストアー高田屋は、「北摂のマチュピチュ!?に行ってきました。 | 梅田の北っかわ!(うめきた)」の記事によると今では営業を止めており、大阪府豊能町の切畑地区で豆腐屋を経営しているようである。その割には外装は新しく、店の前に設置してある自動販売機も新しく見える。店舗としては使用されていなくても住居的な役割は果たしているということだろう。


高田屋から茨木台のメインストリートを少し下ると、(写真22)の建物が見える。ちょうどメインストリートを挟んで「見立自治会館」(写真15)の反対側に位置する建物である。

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(写真22)見立自治会館の反対側に位置する建物。かつては何らかの店舗であったと推察される。


建物の造りからして、かつては何らかの店舗だったのだろう。しかし今ではもぬけの殻だ。この店舗と高田屋が撤退したことで、茨木台の周囲からいよいよ商店が無くなってしまったのだと考えられる。
このような店舗の跡地は、人の営みの拠点がその地から失われてしまったことを意味する。高田屋を見た際に感じた一抹の寂しさもそれに起因するのだろう。


(写真20)の高田屋の文字の下には、(写真23)の2つの看板が設置されていた。

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(写真23)水道に関する案内板と、ハンターに注意を促す看板。


水道開栓の看板は雁松区にも置かれており茨木台ではさほど珍しいものではないが、左側の看板は特徴的である。
なんと、ハンターに注意を促す看板である。茨木台に流れ弾を飛ばさないよう注意するように、という趣旨であろう。山を切り開いたニュータウンだからこその案内板と言えよう。
茨木台へアクセスする際に利用した阪急バスの銭原停留所周辺で、パンパンと乾いた音が何度が聞こえていたが、ひょっとするとそれは猟銃による銃声だったのかもしれない。


(写真23)の水道開栓の案内板に関連して、(写真24)も紹介しておきたい。

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(写真24)見立南区の洗車場の様子。


(写真24)は高田屋からすぐの所にある洗車場を撮影したものだ。「水は、貴重な地下資源です。」「凍結が予想される時の洗車はお控えください。」という注意書きが茨木台らしさを強めている。


さて、そろそろ見立南区の内部の様子も紹介しよう。(写真25)は見立南区の下部ブロックにおいて撮影したものだ。

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(写真25)見立南区の下部ブロックの一風景。


見立北区や松風台と比較すると、坂道の勾配が緩やかであることが分かる。見立南区では等高線に沿って道路が造成されているため、徒歩で散策する際にも無理のない設計がなされている。
手前に空き地が目立つが、これは下部ブロックだからであろう。実際、写真奥の上部ブロックには住宅が密集しているのが分かる。


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(写真26)見立南区の一風景。駐車場の上に敷地が広がる構造が読み取れる。


(写真26)は見立南区の空き地を介して撮影したものだ。駐車場の上に住宅を建てる敷地が広がっており、道路からは階段を上ってアクセスするという、丘陵を切り開いたニュータウンに典型的な構造が読み取れる。この写真を見ると、見立南区も北区や松風台と同じ茨木台の一部であると実感できる。


そのような見立南区であるが、場所によっては松風台のように草が生い茂っている一画も存在する(写真27)。

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(写真27)伸びている草が目立つ、見立南区の一画。


撮影場所は見立南区の下部ブロックかつ南側、メインストリート側から見ると道路のどん詰まりに当たる。そうしたアクセスの悪さからあまり住宅が建たなかったのだろう。


茨木台のメインストリートから見立南区を見上げると、「見立あんずの里」「見立こども広場」と書かれたパネルが確認できる(写真28)。

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(写真28)見立南区に見える、「見立あんずの里」や「見立こども広場」と書かれたパネル。


「見立あんずの里」に関しては、今回直接確認することができなかったが、その実態については先程から何度も参照している「見立南区自治会」の「2009年あんずのジャム作り」のページが参考になる。見立あんずの里は「見立区の沿革」によると、1999年に自治会用地の斜面にあんずの木を200本植樹したことから開設されたそうだ。

一方の「見立こども広場」については実際に訪れることができたので紹介したい(写真29)。

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(写真29)見立こども広場の様子。遊具などは設置されていない。


分譲地を幾つかつなぎ合わせて広場として整備したかのような印象を受けたが、「見立区の沿革」によると実際にその通りで、1999年に不在地主の好意により開設されたそうである。見立あんずの里の開設も1999年であることから、この年には見立南区において何か動きがあったのかもしれない。
見立こども広場には遊具などは設置されていなかったが、子供達がサッカーやキャッチボールをして遊ぶのであれば充分だろう。「使用上の注意」の看板を確認してみると、ボールの転落防止のためかゴルフの素振りと野球は禁止されていた。


見立こども広場の近くには住宅も建っていたが、道路と住宅を結ぶ道が階段ではなく急勾配のスロープであった(写真30)。

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(写真30)見立こども広場近くの道路と住宅を結ぶ、急勾配のスロープ。


右側の住宅に関してはあまりの急斜面故に、後付けで階段と手すりを設置したように見える。興味深いのが、他の区画であれば1つの敷地につき1つの階段が用意されている一方で、(写真30)では道路と住宅を結ぶ道が共有されているということだ。何故このような形態になったのか、謎は深まるばかりである。


見立南区の上部ブロックから見下ろした景色が(写真31)だ。

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(写真31)見立南区の上部ブロックから見下ろした景色。右側に公園が見える。


棚田や段々畑のような、等高線に沿って造成された区画に住宅が並んでいるのが分かる。滑り台やジャングルジムが設置された、写真右側の公園も斜面の僅かな隙間を縫って造成されている。この公園には桜の木が植えてあったのだが、東別院小学校の改築工事の際に平成13年(2001年)に移植された、と看板に書かれていた。見立南区と地元の小学校の繋がりを感じさせるエピソードだ。


住宅が密集している見立南区の上部ブロックの南部についても紹介したかったのだが、スマホの電池が残り僅かになってしまい写真を撮ることができなかった。とある住宅のガレージには、自動販売機や、大阪モノレールモノレール文庫*11のように本を自由に読めるコーナーが設置されており、一見の価値はあると思われる。茨木台において一般的に想起されるニュータウンらしい雰囲気を一番漂わせているのがあの区画であろう。


この章の締めとして、松風台から見た見立南区の景色を載せておこう(写真32)。

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(写真32)松風台から見た見立南区の景色。



Ⅷ. まとめ(及び、本記事を執筆する際に心掛けたこと)

できるだけ簡潔かつ手短にまとめるつもりが、2万字を超える、読む人を選ぶ膨大な記事になってしまった。
長文になってしまった理由としては、以下の項目を心掛けたが故である。

1. 地域の特色に着目する地誌学的記述、及び比較のスケール
地域の特色をあぶり出すためには比較が欠かせないが、その比較のスケールにも注意を払った。一つは関西圏のニュータウンの中での茨木台という(マクロな)スケール、もう一つは茨木台の中に存在する各地区間での比較の(ミクロな)スケールである。この両者を適宜挟み込むことで、茨木台及びその内部の各地区の特色を位置づけられたのではないかと思っている。

2. 実際の巡検(と言える程の内容ではないが)と同様の手順を記事中で再現
現地へ赴く際に、事前に調査可能な内容については調べ尽くしておくのが巡検やフィールドワークの鉄則である。それでも調べられなかった内容を知ることこそ、巡検やフィールドワークの目的であり醍醐味になる。本記事では Ⅰ.茨木台の概要 Ⅱ.茨木台の3地区と雁松区の地理情報 の章が、地図や文献(ほとんどウェブサイトだが)による下調べに相当する。そして Ⅲ.茨木台の出入口 の章以降が、事前調査を踏まえた上での実地調査に当てはまる。……と偉そうに書いておきながら、実際には下調べが上手く行かないこともある。事実、今回茨木台を訪れて初めて判明した内容(道路と等高線の関係、住宅の粗密など)も多かった。

3. 地図と写真の両輪
茨木台のような、ある地域や場所を紹介するサイトやブログを読んでいていつも感じていたのが、写真は多く用いられているものの地図はほとんど掲載されていないということだ。その点、本記事でもお世話になったブログ「路面と勾配 f/k/a 北摂ひっそり」では、多くの写真に加えて経路図も毎回掲載しているため、筆者の行動を追体験しやすい。写真だけでも多くの情報を伝えられるものの、位置情報に関してはなかなか把握しづらい。そこで、地図が大きな力を発揮することになる。ただ、地図だけでは読み取れない内容や、 Ⅱ.茨木台の3地区と雁松区の地理情報 の章内で述べたように地図の内容に誤りが見られることもある。そこで、地図と写真の両輪で地域を観察、紹介していくことが大切になる。

4. 住民のプライバシーへの配慮
茨木台は人が住んでおり、そうした方々の迷惑にならないよう行動するのは原則である。そして至極当然のことだが、表札やナンバープレートが極力写されないように心掛けた。それでも写真に入り込んでしまった場合はモザイクを入れることで対処した。近年、スマホなどの電子機器の発達によりすぐに写真が撮影可能な環境が整っているが、こうした内容にも配慮しておきたい。

他にも心掛けた点はあるが、ただでさえこってりとした記事がさらにくどくなってしまうので、上記の大まかな項目の紹介だけに留めておきたい。


茨木台はニュータウンの多様な姿を知る良いきっかけとなった。茨木台に限らず日本全国のニュータウンに言えることだが、ニュータウン内に商店や病院が存在しない場合、生活を営む上で車が必須であると実感した。茨木台の場合、都市との隔絶性という要素に加えて、地区内の道路が坂ばかりという環境も車が必須の状況を生み出している。病院へ通う頻度が増え、車の運転も不安になってきた高齢者としては、不自由ない生活を送るのが困難であるかもしれない。そういう意味では、茨木台は全国のニュータウンの縮図であるような気がした(……最後の感想文が少し重苦しくなってしまった)。


最後は茨木台・見立南区から撮影した亀岡市方面の景色で本記事を締めくくるとしよう(写真33)。 

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(写真33)見立南区から見た、亀岡市方面の景色。稲もすっかり刈り取られて轍に氷の張った棚田や、遠くにそびえる山々の青い稜線が美しかった。



本記事ではタイトルにニュータウン」探訪①と銘打ってみたが、果たしてシリーズ化するのかどうか。その答えは、(茨木台のような)魅力溢れるニュータウンとの出会い次第だろう……。



【附記】
茨木台の歴史的経緯について詳細を知りたい方は、「御無沙ティ御無沙汰」のブログが新聞記事を適宜引用していて参考になる。一例として「2008-03-29 - 御無沙ティ御無沙汰」の記事を紹介しておきたい(該当記事では茨木台と類似した環境の「北摂ローズタウン」について書かれた新聞記事が引用されている)。

*1:住民の立場としては、茨木台よりも「見立区」の呼称の方が一般的なようである。「見立南区自治会」のホームページ、「管理人から」の「見立区の地図を掲載しました(2008.6.1)」によると、茨木台という呼称は既に死語だと記載されている。

*2:「新興」住宅地とは言っても、雲雀丘住宅地のように戦前から開発された場所もある。

*3:「もりまち」ではなく「しんまち」と読む。

*4:2017年2月現在。阪急バスの公式サイトの時刻表 https://www.hankyubus.co.jp/rosen/timetable/086501.pdf?1(PDFファイル) 参照。

*5:空中「写真」なのに、本記事では便宜上「図」に分類される、何とも奇妙な状況である。

*6:図4で表示されている部分は、実は図1を拡大したものに過ぎない。グーグルマップをブログなどで表示する際、利用規約により埋め込み表示をしなければならないのだが、そのお陰で閲覧者がスケールの調整を自由に行えるというメリットがある。(図1)内の「+」アイコンを何度かクリックすると、図4と同じように表示されるはずだ。今回は参照に手間がかかることを考慮し、再度地図を埋め込んでみた。

*7:空中写真の撮影時期に関する詳細は「国土画像情報の閲覧サービスについて|国土地理院」を参照。

*8:ひょっとするとゼンリンの住宅地図には茨木台の各地区名が明記されている可能性もある。しかし、ゼンリンの地図情報はグーグルマップにも反映されていることから、その可能性は低いと思われる。

*9:何故オープンストリートマップをベースにして(図2)を作成したのかと言うと、この地図はその名の通りオープンだからである。……これでは説明になっていないので、もう少し詳細を。グーグルマップや地理院地図といったサービスを元に地図を作成して、不特定多数の人が閲覧できるブログなどに掲載する際には所定の手続きが必要になるが、オープンストリートマップはそのような過程を経なくても利用元の明示で済むのである。地図に関する規約は意外とややこしく、個人的利用の範疇であれば地図に改変を加えても規約には違反しない場合もあるとは言え、ネット上での取り扱いには注意を要する。

*10:石澄滝の詳細については「秘境「石澄の滝」探訪① - たぶん大丈夫なブログ」、「秘境「石澄の滝」探訪② - たぶん大丈夫なブログ」、及び「再訪「石澄滝」 ――新たな知見と共に - たぶん大丈夫なブログ」の各記事を参照。

*11:モノレール文庫の詳細については「モノレール文庫|大阪モノレール」を参照。