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「崖」のイメージ――90年代J-POPのPV、内水融の少年ジャンプ漫画、船越英一郎の2時間ドラマ

はじめに

90年代J-POPのPV。
週刊少年ジャンプの漫画。
船越英一郎の2時間サスペンスドラマ。

一見したところ、何の関係性も感じられない三者。だが実は「崖」という共通項が導き出せる。
この記事では、PV、漫画、ドラマの舞台となる崖について見ていくことで、それぞれのメディアにおいて崖を取り巻くイメージ、ひいては、場所としての崖が持つ意味について探ってみたい。


目次





高揚感の演出: J-POPのPV

1990年代のJ-POPについて語る際に、プロモーションビデオ(以下、PV*1)の存在は避けて通れない。
数あるPVの中でも、断崖絶壁が映し出されるタイプは視聴者の印象に強く残っているのではないだろうか。

この記事ではそのようなPVの代表例として、Mr.Childrenの6thシングル「Tomorrow never knows(1994年11月発売)」、TUBEの21stシングル「ゆずれない夏(1995年4月発売)」を取り上げて、崖がPVで果たす役割について論じたい。




まず、Mr.Childrenの「Tomorrow never knows」のPVを紹介したい。

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(動画1)Mr.ChildrenTomorrow never knows」のPV


Tomorrow never knows」のPVでは、ボーカルの桜井和寿は映し出されるが、他のメンバーは一切登場しない。
楽曲の1番で桜井は、メルボルンの街中を歩いたり遊園地のメリーゴーランドに興じたりと、異国の地を孤独にさすらう。2番では電車に乗り込んで、見渡す限り地平線が広がる郊外の荒野を通過して、海辺へと辿り着く。溜めに溜めたラストの大サビで、桜井はオーストラリアの雄大な崖*2の上に立ち、身体をくねらせて懸命に歌い上げる。


次に、TUBEの「ゆずれない夏」のPVを取り上げてみよう。

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(動画2)TUBE「ゆずれない夏」のPV


ゆずれない夏」のPVでは、1番のAメロ、Bメロで崖の映像は何度か差し込まれるものの、ボーカルの前田亘輝を中心としたTUBEの4人のアップや、ハワイの青い空と海、南国らしさを感じさせる花やオウムのカットを主体として尺が進む。
サビに入ると、ハワイの雄大な断崖絶壁の上で演奏するTUBEが、ヘリコプターからの空撮によって映し出される。真っ青な空と海に囲まれつつ、赤茶けた断崖絶壁の上で、真っ白な服装のTUBEの4人が「ゆずれない夏」を披露する。ビビッドなコントラストが印象的だ。
サビでは前田以外のメンバーが楽器を演奏する姿を挟みつつ、前田が全身を動かしながら高らかに歌い上げる映像に長尺を割いている。
TUBEが手掛ける楽曲の夏らしさが、PVを介して視覚的に体現されている。


ミスチルとTUBEのPV、両者に共通するのは、崖がサビで効果的に映し出される構成だ。
切り立った崖は、空撮されることで背景の空や海と対比され、高さがより際立つ。その崖の上に人間が立つことで、大自然とちっぽけな人間という対比が生じ、視聴者は強烈な印象を抱く。
ここで前提条件として押さえておきたいのは、一般的な楽曲ではサビで盛り上がりが生じ、それに伴い感情の高まりが表現される、という点である。
つまり、PVにおいてサビで崖の映像が流れるのは、視聴者に対して、崖という視覚的な刺激とサビという聴覚的な興奮の融合を促すためなのだ。

なお、両者のPVには相違点もある。
Tomorrow never knows」のPVでは、満を持して登場する断崖絶壁で一人で歌い上げるミスチル桜井の姿が、歌詞の内容と相まって孤高の存在として描かれている。
その一方、「ゆずれない夏」のPVでは、メンバーが演奏する中で歌い上げるTUBE前田の姿は、夏と恋の訪れを仲間と共に全力で歓喜する象徴と化している。
崖の映像が楽曲の高揚感を演出するという点では共通するが、その高揚感に付加されるイメージの方向性は異なっている、と言えるだろう。


ここまでは天然の崖が舞台となるPVについて論じてきた。
ところで、印象に残る90年代J-POPのPVとして、高層ビルが映し出されるPVについても取り上げない訳にはいかない。高さや落差といった要素に着目すれば、高層ビルは言わば「人工の崖」と見なせよう。
この記事ではそのようなPVの代表例として、華原朋美の3rdシングル「I'm proud(1996年3月発売)」と、ブラックビスケッツの2ndシングル「Timing(1998年4月発売)」のPVについて、これまでの議論と照らし合わせながら取り上げたい。
若干の脱線となるが、天然の崖と人工の崖の共通点・相違点を探ることで、90年代J-POPのPVにおける崖のイメージをさらに掘り下げてみよう。




まず、華原朋美の「I'm proud」のPVを紹介したい。

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(動画3)華原朋美「I'm proud」のPV


「I'm proud」のPVでは、小室哲哉と共にパフォーマンスする華原朋美が映し出されている。ブルーを基調とした屋内の映像を時折挟みつつも、セピアで彩られたロサンゼルスの倉庫街ビル(約151m)の屋上の映像が主軸となっており、華原のシンデレラストーリーが画面の華やかさとして具体化されている。


次に、ブラックビスケッツの「Timing」のPVを取り上げたい。

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(動画4)ブラックビスケッツ「Timing」のPV


「Timing」のPVでは、ブラックビスケッツ(ビビアン・スー、南原清隆天野ひろゆき)の3人が、ニューヨークの公園や屋内、はたまた(2001年9月11日のアメリ同時多発テロで倒壊した)ワールドトレードセンターの南棟屋上展望台(415m)でパフォーマンスする様子が映っている。中西圭三小西貴雄が手掛けた「Timing」のファンキーさと、ニューヨークの街並みの賑やかな雰囲気が合致している。


これらのPVに登場した、ニューヨークやロサンゼルスといったアメリカ大都市における高層ビルは郡立しているが、それぞれが孤立した高所でもある。先述した崖の事例と同様に、高所の映像という視覚的な刺激を重ね合わせることによって、楽曲の盛り上がりを演出しているのである。

ただし、付加されるイメージの方向性は異なっている。
崖のイメージを一言で言い表すならば、「Tomorrow never knows」は「孤高」、「ゆずれない夏」は「(夏と恋の訪れに対する)歓喜」となろう。
一方、「I'm proud」や「Timing」の高層ビルのイメージには、憧れとしてのアメリカ、都会的な雰囲気を反映した「洗練」という言葉が似合っている。楽曲自体が志向するオシャレさ、カッコよさを、視覚的にも喚起させる役割を果たしているのである。

いずれにしても、90年代J-POPのPVでは、楽曲の方向性に合わせて、崖や高層ビルといった高所のイメージが効果的に使用されていることが分かる。


小括すると、90年代J-POPのPVで映し出される崖は、感情の高まりや楽曲の盛り上がりを象徴する舞台装置としての役割が付与されている。
高所には、楽曲の盛り上がりに伴って、視聴者の高揚感を掻き立てる効果がある。しかしながら、自然の高所「崖」と、人工の高所「高層ビル」は、楽曲の盛り上がりを喚起する点では共通しながらも、それぞれの楽曲の作風、音楽性に合わせて、付随するイメージは異なっている。「Tomorrow never knows」や「ゆずれない夏」のPVが大都市の高層ビルの屋上で撮影され得ないのと同様に、「I'm proud」や「Timing」のPVでは天然の断崖絶壁は舞台にはなり得ない。

なお、穿った見方をすれば、崖の雄大な景観や高層ビルの洗練された雰囲気とミュージシャン・アーティストを結び付けることで、イメージアップを図っていると読み取ることも可能である。
また、雄大な断崖絶壁やアメリカ大都市の高層ビルでのPV撮影は、バブル崩壊後も海外でのロケが敢行できるほどの好景気に沸く90年代の邦楽業界の華やかさを反映しているのだと解釈することもできるかもしれない。

死の世界の象徴: 内水融の漫画

次に、内水融の漫画を取り上げて、作中における崖の描かれ方について掘り下げていきたい。
内水融は、2000年代の週刊少年ジャンプで3作*3(2003年連載開始の『戦国乱破伝サソリ』、2005年連載開始の『カイン』、2008年連載開始の『アスクレピオス』)の連載経験がある漫画家だ。

数ある週刊少年ジャンプ連載漫画の中で、比較的マイナーと思われる内水作品を何故敢えて取り上げるのか。
それは、崖が作中で重要かつ象徴的な役割を果たしているからに他ならない。
この章では、『カイン』、『アスクレピオス』、2006年に週刊少年ジャンプに掲載された読切『FOREST』の3作を取り上げて、崖の描かれ方について見ていきたい(以下、物語の核心にも言及するため未読の場合は注意)。


『FOREST』の崖
まずは読切『FOREST』を取り上げたい。
この作品における崖の描かれ方は、内水融作品の典型例と言えるからである。


(画像1)『FOREST』冒頭の一コマ


『FOREST』の題名の通り、木々が鬱蒼と生い茂る森の場面から物語は始まる(画像1)。
崖はコマの中で一際目立つように描かれている。今後の展開に大きく関わってくるからである。


(画像2)『FOREST』より、マリイとロイ

村の人々から恐れられている盗賊の頭領・ロイは、村に雇われた凄腕の剣士に深手を負わされて森に逃亡していたところ、村外れの森に住む少女・マリイによって助けられる。後日、傷が癒えつつあったロイは、森をほとんど抜け出したことがないマリイを崖の上に案内する(画像2)。
この場面で、崖の上から村を見下ろす視点になっていることは非常に大きな意味を持つ。二人の位置する崖、崖を取り囲む森、森の外れに見える村、三者の地理関係を視覚的に説明できるからである。

実は、マリイは解放奴隷だったが、村人達の根深い偏見により、盗みの濡れ衣を着せられた自身の母を殺された過去があった。それ以来、マリイは村に近づかず、森の奥深くで一人で暮らすようになったのだった。
その事実を知ったロイは、自身が犠牲になる覚悟で村に赴いて雇われの剣士と決闘し、剣士にマリイの将来を委ねようとするものの、その企みはマリイに露見していた。母を喪って以降初めて村に姿を現したマリイは、息絶える寸前のロイに邂逅して、自由な生き方をするよう告げられたのだった。


(画像3)『FOREST』より、ロイの墓標を訪れるマリイと剣士

ロイが亡くなった翌日、マリイと剣士は、崖の上に立つロイの墓標を訪れる(画像3)。その後マリイは村人達に「バカヤロウッ!」と決別の言葉を投げつけて、剣士と共に村を後にするのだった。


(画像4)『FOREST』より、最後の一コマ

『FOREST』の最後の一コマでは、崖の上に立つロイの墓標がクローズアップされる(画像4)。マリイとロイが崖の上から眺めた景色(画像2)と同じアングルであることに注目してほしい。本作品ではそれだけ崖が重要な役割を果たしているのである。



アスクレピオス』の崖
次に『アスクレピオス』を取り上げよう。


(画像5)『アスクレピオス』第2巻・第11話「ごめんなさい サヨナラ」より、パレの墓標と崖


アスクレピオス』は、(あくまで架空の)中世ヨーロッパを舞台とした医療漫画であり、教会から異端と見なされた外科手術を施して人々を救命するバズと、彼の命を守る従者の少女・ロザリィを中心として物語が展開していく。
物語の途中、主人公達に随行していたパレというキャラクターが主人公達を庇って命を落とす。第11話「ごめんなさい、サヨナラ」では、崖の上に立てられているパレの墓標と、彼の死を悲しむロザリィが描かれる(画像5)。崖の右側には森が広がっており、崖の下には(バズの医療で救われた人々が暮らす)村が築かれている。
『FOREST』と同様に主人公達は迫害を受けており、物語の途中で亡くなった関係者が崖の上に埋葬されるという点に共通項が見出せる。


『カイン』の崖
最後に『カイン』を取り上げたい。


(画像6)『カイン』第1巻・第六記「ありがとう」より、リュウギの墓標と崖


『カイン』は、(これまたあくまで架空の)中国大陸を舞台とした異能力バトルファンジーであり、非道な異能力を駆使して覇を唱える「煉」という大国に対峙するレジスタンスの一人・カインを中心に話が進んでいく。
第六記「ありがとう」では、森の中で暮らしていたルゥランという女の子の祖父・リュウギが「煉」の兵士によって殺されて、埋葬される場面が描かれる(画像6)。森から突き出た崖の突端にリュウギの墓標が立てられており、ルゥランが神妙な面持ちで見つめている。ルゥランはその後、主人公のカイン達に随行することとなる。


そして、最終回の最後の一コマに出てくる崖を見てみよう。

(画像7)『カイン』第3巻・最終記「父上」より、ラストシーンと崖


少々分かりにくいが、遠方に城壁都市を臨みつつ、手前にはカインの仲間のレジスタンス達が崖の上に立っている(画像7)。
ここまでお読みいただいたらこの場面が意味するところも自ずと理解できるだろう。墓標こそ立っていないものの、崖が描かれるこの場面も、これまでと同様に「死」を暗示しているのである。
カインが宿敵と相討ちして亡くなった後、変身能力を持つキャラクターがカインに変身して、相討ちしたことを知らないルゥラン達に別れ(死)を告げた後の場面なのだ*4


小括すると、内水融の漫画で描かれる崖は、墓標に象徴されるように「死」が顕在化した場所となっている。
また、崖は人々が住みつかない森に近接した場所に位置しており、多くの人々が居住する村落や街は遠方に位置付けられている点も見過ごせない。崖は生活圏の外れに位置しているのである。
さらに、これまで取り上げてきた『カイン』、『FOREST』、『アスクレピオス』の主人公達は皆、迫害を受けてきたという点で共通している。
これらが意味することは何なのだろうか、図にしてみよう(画像8)。


(画像8)内水融作品における崖の描かれ方の模式図


崖は死が顕在化する場所、つまり彼岸を暗示している。崖の周囲には自然を象徴する森が取り巻いて描かれている。
人々の住む集落は崖に対峙するように描かれており、此岸を暗示している。
内水融の作品では、疎外されるキャラクターが一貫して描かれてきた。疎外される故に縁辺部(マージナル)へと追いやられ、縁辺部を象徴する「崖」に命を落としたキャラクターが埋葬される構造となっているのである。

窮地と救済の構造: 船越英一郎のドラマ

「崖」とメディア・テクストとの結び付きについて、日本人が最も喚起しやすいものとして、船越英一郎が出演するテレビドラマが挙げられるだろう。
実を言うと、船越英一郎が主演を務めるサスペンスドラマを全く視聴したことがないため、個々のドラマでの崖の扱われ方を掘り下げることはできないのだが、全体的な傾向をネット記事を中心にまとめてみたい。

船越英一郎が出演するテレビドラマでは、事件の犯人を崖の上で問い詰めるシーンが定番となっている。しかし何故、崖が舞台となるのだろうか。
オリコンニュースの記事が船越自身の言葉をふまえた上で端的にまとめているので引用しよう。


www.oricon.co.jp

船越は「崖っぷちに僕1度だけ、自分が追いつめられて立った事があるんです」と体験談を交え「実際立場逆転してクルッと180度向きを変えて(崖を)背負ってみたら、退路もなにもかも全て断たれるっていう状況。そして情熱を持って自分と向き合ってくれる人がいるっていう事の嬉しさでつい喋ってしまう…。喋りたくなるんですよ」と、そのカラクリを明かす。

「追い込まれている」というのがパッと見て視聴者に伝わる状況がまさに崖であり、犯人も誰かに思いをぶつけたくなる心理状況が整う場だからこそ、「崖っぷちで犯人を説得できる」のだ。

崖は、窮地に追い込まれて、そこから抜け出したくなる犯人の心理状況を反映しているという訳だ。犯人側が抱く緊張と緩和の心境を象徴する場が崖と言えるだろう。
「J-POPのPV」の章でも言及した通り、崖は視覚的な刺激を掻き立てる場所でもある。それ故にドラマの視聴者の印象に深く残る訳だが、船越の言葉をふまえると、ドラマの登場人物(ひいては演者)の側も、崖から窮地と救済の構造を五感で読み取っているということなのだろう。

おわりに

「崖」という場所をテーマに、音楽のPV、漫画、テレビドラマ、様々な媒体での映し出され方、描かれ方を探ってきた。
崖は屹立するという視覚的に分かりやすい地形条件故に、印象的な場面で取り上げられることが多いが、崖に付与される意味はメディアや作品によって多種多様であると確認できた。
本記事が、崖を含めた様々な場所のモチーフに反映されるイメージを捉える上での一助になれば幸いである。




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*1:近年では「PV」表記ではなく「MV(ミュージックビデオ)」表記が増加しつつある。2023年6月現在、GoogleトレンドではMV表記の方が優勢になっている。

*2:Mr.ChildrenTomorrow never knows」のPVの舞台となっている崖は、オーストラリア・ポートキャンベル国立公園のグレートオーシャンロード。

*3:内水融週刊少年ジャンプで連載した3作は全て数ヶ月で打ち切りの憂き目に遭った。通常、短期間の連載を経た末に打ち切られる漫画は物語を中途半端な状態で畳まなければならず、展開が駆け足になったり謎が明かされないまま残されたりと不備が生じてしまうことが多いのだが、内水作品は短期集中連載と見紛うほど完成度が高い。『魔人探偵脳噛ネウロ』『暗殺教室』の作者・松井優征と同様に、物語の結末を連載期間(数ヶ月での短期打ち切り、数年に渡る長期連載など)に合わせて何パターンか事前に想定していたのではないかと推察している。

*4:『カイン』の最終回は、短期間で打ち切りとなる悪条件の中、さり気なく描かれたキャラクターの特徴を上手く拾い上げた伏線回収がされており評価が高い。興味を持った方には一読を薦めたい。