たぶん大丈夫なブログ

しょうもない考察や雑記を述べていきます。

秘境「石澄の滝」探訪①

箕面の滝大阪府の数ある名勝の中でも、自然の雄大さというポイントではここが随一だろう(写真1)。

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(写真1)箕面の滝の写真。今回の記事とは直接的には関係ないが、参考ということで。


その西隣に、あまり知られていない滝が存在する。それは「石澄の滝(いしずみのたき)」。「石澄滝(いしずみたき)」とも言うらしい。

名勝として知られる箕面の滝を今年の1月に見に行った後で、石澄の滝というマイナーな滝の存在を知った。箕面の滝と比べて、人の姿はほとんど見られない(らしい)。滝までの道も荒廃している(らしい)。とはいえ、まさか見に行けないほどではないだろう。箕面の滝を見に行った際、ついでに近くの箕面山三国峠、はたまた六個山まで登ろうとしたことがあり、石澄の滝の道中もそんな感じだろうと思ったのだ(結局、六個山までは遠すぎて行けず、日が暮れかかる下山中は完全に遭難者の気分だった)。箕面山の雰囲気そのままで石澄の滝を把握していた。

だが現実は違った。結論から言うと、石澄の滝の険しさ、過酷さはそれらの山々の段違いだった。久しく管理されず荒れ果てた山道。そして、それにまつわる奇妙な石碑、廃屋の謎。
そんなこともつゆ知らず、2015年9月18日(金)、石澄の滝へ足を運んだ。



※この記事では、一番の目的である石澄の滝は登場しません。次の記事「秘境「石澄の滝」探訪②」で取り扱おうと思っています。また、記事の最後でオカルト系・怖い話系の内容が出てきます。ご注意を。


※この記事の続きとして、「再訪「石澄滝」 ――新たな知見と共に」を執筆しました。本記事では解明されなかった謎の数々に一定の答えを示しています。興味があればこちらも是非。


最初に石澄の滝について概説しておこう。石澄の滝は阪急箕面駅の北西、箕面山箕面の滝の南西に位置している。また、五月山緑地霊園の東、箕面ゴルフ倶楽部・池田カンツリー倶楽部の南に位置している。箕面ゴルフ倶楽部の敷地内にある池の水が、石澄の滝となって流れているのだ(図1)。


(図1)石澄の滝の位置。


図を少し拡大してみよう。よく見てみると、石澄の滝とそこから流れる石澄川(後に箕面川と合流)の近くに点線が引かれている。これは大阪府箕面市池田市の市境。そう、石澄の滝はちょうど市境に位置しており、石澄川は市境をなぞる形で流れているのだ(図2)。

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(図2)石澄川に沿って引かれた、箕面市池田市の市境。グーグルマップをスクリーンショット、加工した。


Wikipediaの石澄の滝の項目によると、滝の落差は約25メートル。箕面の滝の落差は33メートルだから、かなり大きな滝だ。それにもかかわらず石澄の滝があまり取り上げられてこなかったのは、箕面の滝というより優れた名勝が近くにあるからだろう。


概説はこれくらいにして、今度は滝までの道中を記していこう。


(図2)のグーグルマップで道が白色から灰色に転じている辺りで、(写真2)と(写真3)の光景が広がっていた。石澄の滝の入口だ。

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(写真2)荒れ果てた入口。道路の両脇からはアスファルト舗装を突き抜けた樹木が生い茂っていた。


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(写真3)「石澄滝 上流へ」と書かれた案内とアーケード。


また入口の横には「砂防指定地」の看板が(写真4)。

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(写真4)大阪府の「砂防指定地」の看板。


入口を通り抜けて山道へ。最初はアスファルト舗装されていた道路がいつの間にか獣道に。道中に幼いヘビの死骸が転がっているほどだった。

石澄川を見ていると、川の流れが所々せき止められているのが目に付く(写真5)。恐らく(写真4)の「砂防指定地」関連の砂防ダム(正確に言えば砂防堰堤)なのだろう。

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(写真5)石澄川に設けられた砂防堰堤。


ここを越えてしばらく歩くと奇妙な物に遭遇した。「平田龍昇師之碑」と書かれた謎の石碑や、たくさんの地蔵が並んだ御堂、そして完全に倒壊した小屋(写真6、7、8)。

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(写真6)「平田龍昇師之碑」と書かれた石碑。ちなみに「平田龍昇」師について検索してみたが、何一つ分からなかった


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(写真7)地蔵が並んだ御堂。交通の難所だったのだろうか(確かに現在では厳しい道のりだが)。


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(写真8)完全に倒壊した小屋。久しく放置されていることを物語っている。これが木造家屋の末路なのだろう。


(写真6)の「平田龍昇」師とは一体誰なのだろうか。考えられるのは、石澄の滝の観光地化に貢献した人という線だが……(現在は完全に荒れ果てた石澄の滝も、何十年も以前は家族連れが訪れるような場所だったらしい。現在の姿からは想像しにくいが)。詳細を知っている方は是非とも教えて下さい。

奇妙な空間を通り抜けて、石澄川沿いの風景を眺めながら歩いていると……。

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(写真9)丸太橋。完全に丸太橋。

丸太橋に遭遇した(写真9)。
……事前にいくつかのブログを見ていたので、この丸太橋の存在は知っていた。とはいえ、大きく打ちのめされた。ちゃんと整備された生易しい山道とは違う豪快さ、ワイルドさ。丸太橋はそれを象徴していた。

踏み外さないように、慎重に丸太橋を渡る(写真10)。
自分は横歩き、一緒に石澄の滝を目指す友人は平均台を歩くように。

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(写真10)対岸(石澄の滝側)から見た丸太橋の写真。やっぱり丸太橋。天然の木材を存分に生かし切っている。


丸太橋を渡りきると分岐点が現れた。一方は石澄川沿いの道、もう一方は丸太橋が掛けられた川(石澄川の支流)沿いの道。石澄川の支流の道を撮影した(写真11)。

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(写真11)石澄川の支流。遠くに砂防堰堤が見える。

奥に砂防堰堤が見える。道は続いていたものの、もう一方の道よりも荒れ果てており、また目的の石澄の滝の方向ではないため行くのを断念。そのまま石澄川に沿って歩いていく。

すると廃屋が数軒見えてきた(写真12、13)。

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(写真12)廃屋その1。


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(写真13)廃屋その2、その3。


そして廃屋その2の玄関(らしきもの)をよく見てみると……。

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(写真14)廃屋その2の玄関(らしきもの)。

玄関なのだろうか、金属製のゲートが見えた(写真14)。しかし両側はがら空きなので、出入り口としての意味はなしていない。
横には何やら立っている。詳しく見てみると……。

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(写真15)「信者以外の当敷地内への立ち入りは厳禁致します。 一心寺 前田」と書かれた看板。

そこには、「信者以外の当敷地内への立ち入りは厳禁致します。 一心寺 前田」と書かれた謎の看板が(写真15)。
看板の新しさから、廃屋より後に設置されたのだろう。ここの廃屋はかつて修行の場だったのだろうか。実際、石澄の滝周辺は真言宗系の寺院の僧が山伏の格好をして修行をしていたという情報もある(戦国大名池田勝正研究所: 池田・箕面市境にある石澄滝と鉱山参考)。


そこで気になるのは看板に書かれた「一心寺」の文字。石澄の滝から帰った後でネット検索してみた。

……出てこない。いや、正確に言えば出てきたものの、大阪市天王寺区にある一心寺しか出てこない。まさかこんな辺鄙な土地にある廃屋とは関係ないだろう。
そう思い、「一心寺 池田」と打ち込んで調べてみると……

nazolog.com


……出てきた。オカルト系・怖い話系のまとめブログが

「一心寺」という名前、大阪府池田市という場所、山で探検したときの話、看板の内容の一致、また同じ書き込みに五月荘というアパートの名前が出てくる(池田市には五月山という山があり、その地名を取った五月荘というアパートが実際に存在する)ことから、恐らくこの廃屋をモデルにした話なのだろう。

一心寺とは一体何なのか。
考えられるのは、天王寺にある一心寺を示しており、石澄の滝が修行の場になっているということ。しかし、距離の遠さを考えると不自然である。
他に考えられるのは、この廃屋の近くに一心寺という寺院が存在していた(もしくは廃屋そのものが一心寺だった)が、廃寺となってしまったということ。前者よりは可能性が高いだろうが、(写真12)(写真13)を見てみても、寺院の造りのようには見えにくい。また、もう存在しない寺院がわざわざこのような看板を設置するのだろうか……?

謎が謎を呼ぶばかりで実態が掴めない。
こういった怖い話系の話はいくらか誇張が入っており、この「一心寺」の話もその例に漏れないと思われる(オムツが部屋の壁一面に敷き詰められている、寝袋の中の死体など)。とはいえ、モデルが存在することからもある程度は実話に基づいているのだろう。この話で語られている「うんこ」の悪臭については、石澄の滝へ行く道中で何度か感じたので、人間のものというよりは野生動物の糞、もしくは何かが腐った臭い(動物の死骸など)と考えるのが自然だ。ただ、1977年と書かれたカレンダーや漢字辞書のくだりはリアリティがあり、もっともらしい。中学生のときに探検したというのも実話なのではないだろうか。


以上の話をまとめた「一心寺」についての個人的見解。

一心寺とは、石澄の滝近辺にかつて存在した(もしくは現在でも存在しているが、検索しても出てこないだけの)寺院であり、廃屋とその土地を現在でも所有している。廃屋は修行の拠点として(もしくは一心寺そのものとして)使われていた。時が経ち、「一心寺」の話を書き込んだ人のようにこの廃屋に無断進入して荒らし回る人が出てきて、その対応に困った一心寺の関係者は、新たに看板を設置して無断進入を牽制した。

こう考えれば、看板が比較的新しいのも辻褄が合う。まとめサイトに載せられたこの奇妙な話は2005年に掲示板に書き込まれたようだが、「一心寺」の話を書き込んだ人は「去年」この廃屋を訪れたと言っている。つまり2004年に立ち寄ったときには看板が設置されていたが、最初の廃屋探検をした中学生時代(当然2004年よりも前)には看板がなかったということだ。故に、廃屋が廃屋になって以降看板が設置されたと考えられる。


ただ、一心寺そのものの謎については未だによく分からない。
また、この廃屋自体についても実際に立ち入らなかったので詳細は分からない。もしかしたら本当に壁一面にオムツが敷き詰められていたり、糞便系の悪臭が立ち込めていたり、1977年と書かれたカレンダーと謎の文言が書き込まれた漢字辞書が放置されていたりするのかもしれない。仮にそうなら夢(というか恐怖?)がある話だ。

「一心寺」とは一体何なのか……それと(写真6)の「平田龍昇」師とは一体誰なのか……。
とても気になって仕方がない。これらの詳細が解明される日は来るのだろうか。


……つらつらと書いているうちに、話が石澄の滝から一心寺に変わってしまった。文章の量も増えてしまったため、続きは「秘境「石澄の滝」探訪②」で書きたい。

……次の記事ではメインの石澄の滝がやっと登場します、たぶん(追記 : 登場しました)。




【2016年12月3日 追記】

tabunsakatsu.hatenablog.com

2016年晩秋、石澄滝を再訪して一心寺、「平田龍昇」師などの謎に迫りました。
この記事を読んでモヤモヤした方は、上の記事も是非お読みいただければ。