たぶん大丈夫なブログ

ちょっとした考察や雑感を述べていきます。

飛び地探訪① 「豊中市 石橋麻田町」

飛び地、それはフロンティア。


この記事のシリーズでは、日常にさり気なく潜む飛び地について紹介したい。
ここで言う飛び地とは、異なる地方自治体によって周囲が包囲されている場所を示す。そこは自治体の境界線が引かれており、ちょっとした非日常的雰囲気に誘ってくれる場所でもある。日本の場合は国境が接している土地がないため(厳密には南樺太はどうなのかとか屁理屈はこねられるが)、飛び地が存在しうるのは必然的に都道府県レベルや市町村レベルとなる。

某国立大学が位置する大阪府豊中市には幾つかの飛び地が存在するが、この記事では大阪府池田市箕面市に囲まれた豊中市 石橋麻田町」を紹介しよう。


豊中市石橋麻田町とは一体どこにあるのか。
大阪府の北に位置する豊中市は南北方向に伸びているが、その北西端に位置している(図1)。


(図1)豊中市石橋麻田町の位置。大阪平野北部、北摂地域にある。


せっかくなので市の境界線が明瞭な地図も載せておこう(写真1)。


(写真1)豊中市石橋麻田町の飛び地具合。「豊中市街地図」より。


大阪大学豊中キャンパスや待兼山のほんの少し北に、石橋麻田町が存在するのだ。確かに(写真1)の地図で見てみると、南に見える豊中市とはギリギリ切り離されていることが分かる。


何故こんなことになったのか。

時は江戸時代に遡る。現在の豊中市蛍池周辺に住んでいた麻田村の農民が石橋麻田町に田畑を所有していたためだと豊中市の公式ホームページには書かれている(http://www.city.toyonaka.osaka.jp/smph/joho/kouhou/t_channel/4ch/tc_4_0002.html参照)。
「麻田町」の前に「石橋」が付けられているのは、この周辺の池田市の地名が「石橋」だからだろう。地名としては分かりやすい。
江戸時代には田畑が広がっていた石橋麻田町だが、現代では田畑の名残は見受けられない。至る所に家、家、家。そこを阪急の線路と国道171号線の高架下の公園が横切っているという形だ。


まずは国道高架下の公園から見てみよう(写真2)。(写真1)の駐輪マークがある辺りを撮影したものだ。


(写真2)高架下の公園に置かれた案内板。


(写真2)を見てみると、確かに「豊中市 石橋麻田児童遊園」と書かれている。


公園脇の何気ない看板にも「豊中市」の文字が記載されている(写真3)。


(写真3)高架下の公園脇の看板。


何気なく通りがかっただけではここが豊中市だとは気付きにくいだろうが、看板は地味ながらも自己主張しているのだ。


今度はこの道路の写真を見て欲しい(写真4)。


(写真4)豊中市箕面市の境界線上の道路。


(写真4)を見ただけでは何の変哲もない道路だ(写真のタイトルがネタバレになってしまっているが)。しかし、この道路の両脇に建てられた電信柱を見てみると……。


(写真5)「石橋麻田町6」の電信柱。



(写真6)「瀬川二丁目5」の電信柱。


なんと片方が「石橋麻田町6」(つまり豊中市)の電信柱、そしてもう一方が「瀬川二丁目5」(つまり箕面市)の電信柱になっている。
そう、ここが飛び地の境界線上だ。何の変哲もない道路に小さな秘密が隠されている。


そして変哲のなさでは、下記の(写真7)の開渠も負けず劣らずなのだが……。


(写真7)豊中市池田市の境界線上の開渠。


そう、ここも境界線上の開渠である。全然水が流れていなくとも、それでも立派な境界線だ。
恐らくこの開渠は、石橋麻田町に田畑が広がっていた時代には用水路として利用されていたのだ。それが時が経つにつれて田畑が住宅街へと変わっていき、用水路はコンクリートで固められ、しまいには宅地裏をひっそりと流れる開渠へと作り変えられたのだろう。

こんなちっぽけな開渠にもちょっとした歴史が潜んでいるのだ。


境界線の話から本来の飛び地の話へと戻そう。
実際に石橋麻田町を歩いてみると、ここが豊中市だという実感がなかなか持てない。所々に見られる電信柱の文字だけが、石橋麻田町の存在を伝えてくれる。だが、それだけでは心もとない。
ここは飛び地なのだ、それを伝えなくては勿体ない。そう思ったのか思わないのか豊中市、あちこちに色々なものを設置している(写真8)。


(写真8)住居表示案内図。「豊中市石橋麻田町周辺」を示している。


(写真8)は、石橋麻田町周辺の案内図だ。阪急箕面線の線路沿いの道路に設置されている。
わざわざこうした案内図が設置されているのだ。

そうした小さな自己主張は他にも見られる。電信柱を覗いてみると……(写真9)。


(写真9)電信柱に設置された「石橋麻田町街区案内図」。


(写真9)も(写真8)と同様、石橋麻田町の案内図だが、これはなんと電信柱に設置されている。そのため図は小さく、案内も簡略。なのにわざわざ設置されている。ここは池田市でも箕面市でもない、豊中市なのだと自己主張している。


住宅街の雰囲気としては周辺の池田市箕面市と一体化してしまっている石橋麻田町。しかしながら、看板や電信柱や案内図といった一見地味なモニュメントが豊中市の飛び地だということ教えてくれるのだ。何かのついでに石橋麻田町を通りかかった際には、是非ともご確認下さい。




【2016年12月 追記】
追記を書いている時点から一年以上経過した記事のため、表記の仕方が未熟に思えるので全面的に改訂。豊中市石橋麻田町の大まかな位置を示すため、(図1)を追加した。



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