はじめに
ここ数年CHAGE and ASKAに入れ込んでおり、二人の歌唱による楽曲だけでなく、提供曲についても手当たり次第に聴いていた。
CHAGE and ASKAの提供曲で真っ先に想像されるのは、「ガラスの十代」や「パラダイス銀河」に代表される光GENJIの楽曲だろう。
その光GENJIの初期のシングルを聴いていると、引っ掛かる要素があることに気づいた。
歌詞の中に、耳に残る「イ」の母音が多いのである。
そもそも、楽曲を聴く際に母音に注意するようになったのは、次の記事がきっかけだった。
上の記事では、CHAGE and ASKA「YAH YAH YAH」とASKA「はじまりはいつも雨」が主に取り上げられており、「ア」「イ」「ウ」「エ」「オ」の母音が楽曲にもたらす効果について論じられている。
歌詞の音韻と楽曲視聴者に与える印象の関係性は、はてな匿名ダイアリーの「https://t.co/YvBx7hkBGJ」の記事が参考になる
— 坂津 (@tabunsakatsu) 2019年1月16日
ASKA作詞の楽曲を事例として、「イ」の音で言い切ることで抑圧的で焦らしてくるAメロ・Bメロから、母音の「ア」を全面に出した開放的なサビへの転換が印象的な「YAH YAH YAH」→
→サビを「エ」の母音で終わらせることで、まさに「星をよけて」いるような消え入る余韻を与える「はじまりはいつも雨」、この2曲の音韻を踏まえた味わい方を広げている
— 坂津 (@tabunsakatsu) 2019年1月16日
自分にとって、同様の分析が可能であると気づいたのが光GENJIの楽曲だった。
この記事では、光GENJIの1stシングル「STAR LIGHT」から7thシングル「太陽がいっぱい」までの初期シングル楽曲*1の歌詞に仕掛けられた「イ」の母音を辿ることで、楽曲にどのような効果がもたらされているのか見ていきたい。
目次
初期シングル楽曲
それでは、光GENJIの1stシングル「STAR LIGHT」から7thシングル「太陽がいっぱい」まで、発売順に見ていこう。
1stシングル「STAR LIGHT」
(動画1)1stシングル「STAR LIGHT」(1987年8月19日発売)
記念すべき1stシングル「STAR LIGHT」を作詞したのは、飛鳥涼(現 ASKA)。
作曲はチャゲ&飛鳥(現 CHAGE and ASKA)による共作、編曲は佐藤準*2である。
さて、「STAR LIGHT」のサビの歌詞を取り上げてみよう。
なお、引用した歌詞のうち、「イ」の母音で言い切られている箇所を太字で強調している。
夢は FREEDOM FREEDOM
シャボンのように
FREEDOM FREEDOM
風の色 のばした手のひらに
届け ROLLING ROLLING
消えないように
ROLLING ROLLING
抱きしめて
見つめた Ah STAR LIGHT
特に注目したいのは、「のばした手のひらに」の「に」である。
ここでキーが最も高くなっており、「イ」の母音がより強調されているのである。
そもそも、「イ」の母音が楽曲にもたらす効果とは何なのか。
一つは、抑圧的なニュアンスを帯びた「イ」。
「ASKAの歌詞はなぜ素晴らしいのか?──母音的想像力試論」で取り上げられている、「YAH YAH YAH」のAメロ、Bメロで頻繫に繰り返される「イ」はこれに当たる。記事の言葉を借りれば「『イ』は、歯を食いしばって発声される。怒りを耐え忍ぶかのような身振りを発音が要求して」おり、エネルギーを溜めに溜めるからこそ、サビの「YAH(「ア」の音)」の解放感がさらに増すのである。
もう一つは、強い意志の表れとしての「イ」。
「STAR LIGHT」の歌詞においては、こちらの意味合いが強い。動作・作用の目的・方向を表す格助詞「に」や、動作・作用の目的、あるいは命令・希望の意味を示す助動詞「ように」は、まさに「STAR LIGHT」のサビの歌詞で出現する「のばした手のひら『に』」「消えない『ように』」の用法と合致する(敢えて言及すると、「シャボンのように」の「ように」は比喩の意味)。
他にも、「~したい(欲求)」の「イ」も、強い意志の表れと見なすことができる。
勿論、「YAH YAH YAH」の「勇気だ愛だと騒ぎ立てずに その気になればいい」のフレーズのように、「イ」の音が両義的な意味(抑圧かつ意志)を帯びることもある。
両者には不可分な部分が含まれることを承知しつつ、この記事では「イ」の音がもたらす二つの効果を軸にして、他の楽曲についても見ていきたい。
2ndシングル「ガラスの十代」
(動画2)2ndシングル「ガラスの十代」(1987年11月26日発売)
作詞・作曲 飛鳥涼、編曲 佐藤準によって手掛けられた2ndシングル「ガラスの十代」。
言わずと知れた名曲から、サビ(2番以外)の歌詞を抜き出してみよう。
こわれそうなものばかり
集めてしまうよ
輝きは飾りじゃない
ガラスの十代
こうして見ると、「イ」の母音が凝縮されたサビだと分かる。
特に、サビの最後の歌詞「ガラスの十代」の「イ」はキーが上がり、サビの最後の母音であるため、強く印象に残る。
また、「ガラスの十代」は、冒頭の「言わないで 言わないで」や、2番のサビ「ぎこちない恋でもいい」などのフレーズのように、要所で「イ」の母音を強調される構成になっている。
推測ではあるが、ASKAは光GENJIへ提供する楽曲を作詞するにあたり、「イ」の母音がもたらす効果と少年アイドルグループが持つイメージの組み合わせの強さ―前途洋々で可能性の塊(「ガラスの十代」で歌われている「脆さ・儚さ・未熟さ」も内包する)の少年達が、強い意志を帯びた歌詞を歌うことによる威力―に気づいたのではないだろうか。
その組み合わせが、次の「パラダイス銀河」として結実するのである。
3rdシングル「パラダイス銀河」
(動画3)3rdシングル「パラダイス銀河」(1988年3月9日発売)
前作と同様、作詞・作曲 飛鳥涼、編曲 佐藤準によって手掛けられた3rdシングル「パラダイス銀河」。
1番の歌詞を抜粋して、「イ」の母音に注目してみよう。
空をほしがる子供達
さみしそうだねその瞳 ついておいで
しぼんだままの 風船じゃ
海の広さを計れない まして夢は飛ばせないスーツケースの中に
愛の言葉を掛けて入れて行こうごきげんいかが はしゃごうよパラダイス
心の傘ひらき
大人は見えない しゃかりきコロンブス
夢の島までは さがせない
Aメロでは、「計れない」「飛ばせない」と、否定的・抑圧的なニュアンスを帯びた「イ」の音が続く。
それがサビでは一転して、可能性に溢れた「イ」の音に切り替わるのである。
ここで注意してもらいたいのは、「見えない」「さがせない」は否定的な意味として取れるが、その主語は「大人」という点である。
Aメロでは子供達が主語となる否定だったのに対し、サビでは大人達が主語となる否定、つまり子供達の立場からすると(意味がひっくり返り)「見える」「さがせる」という肯定になるのである。
また、サビの最後の歌詞「夢の島までは さがせない」の「イ」はキーが上がり、サビの最後の母音であるため、前作「ガラスの十代」と同様にリスナーの印象に残る構成になっている。
サビの「パラダイス」と「コロンブス」の対比も含めて、あらゆる点で魅力が詰まった歌詞だと言えるだろう。
4thシングル「Diamondハリケーン」
(動画4)4thシングル「Diamondハリケーン」(1988年6月21日発売)
これまで三作続いたチャゲ&飛鳥の手を離れ、4thシングル「Diamondハリケーン」は作詞 田口俊、作曲 井上ヨシマサ(編曲は引き続き佐藤準)によって手掛けられた。
ただし、楽曲の系統(少年冒険譚的楽曲)は、前作「パラダイス銀河」を踏襲している。
この楽曲では、サビの最後のフレーズを取り上げたい。
つかむのさ / 散りばめよう 胸いっぱい
サビの最後の母音が「イ」になる構成も踏襲しているのだが、「胸いっぱい」の「イ」はキーが下がるという点でこれまでのシングルとは異なっている。
それ故に、サビの最後のフレーズとしてはいまいち印象が弱い。
5thシングル「剣の舞」
(動画5)5thシングル「剣の舞」(1988年10月10日発売)
数々のヒット曲を手掛ける職業作家(作詞 康珍化、作曲 馬飼野康二、編曲 椎名和夫)による5thシングル「剣の舞」。
この楽曲でも、サビの最後のフレーズを取り上げる。
君と探そう / 君をつかもう ビクトリー
「剣の舞」では、サビの最後の母音が「イ」になるだけでなくキーが上がるという点で、「ガラスの十代」「パラダイス銀河」と同様の構成である。
しかしながら、サビの他のフレーズには「イ」の母音が仕掛けられておらず、前述の2作と比較すると印象は弱い。
「Diamondハリケーン」と「剣の舞」では、「イ」の母音へのこだわりは薄いと判断して良いだろう。
7thシングル「太陽がいっぱい」
(動画7)7thシングル「太陽がいっぱい」(1989年7月20日発売)
7thシングル「太陽がいっぱい」は、作詞・作曲 大江千里、編曲 中村哲による楽曲。
現役のシンガーソングライターが楽曲を手掛けるという点では、チャゲ&飛鳥時代と同様の路線に戻ったと言える*3。
実は、この「太陽がいっぱい」こそ「イ」の母音へのこだわりが最も感じられる楽曲なのである。
1番の歌詞を引用してみよう。
言いかけた言葉 無理に飲みこむくせ
いつから きみは覚えたの
みんな いつだって 自分にせいいっぱい
すねてちゃ 何もおこらない水着をほどいたら 砂がこぼれてく
まぶたのオレンジ 弾ませてごらん幾千分もの奇跡をこえて 巡りあった夢
君にしか わかりあえない
今すぐ そこまで 泳いで 瞳をさらいにゆくのさ
この夏に この時代に 太陽がいっぱい
楽曲を聴いて真っ先に印象に残るのが、サビの最後のフレーズ「この夏に この時代に 太陽がいっぱい」の畳み掛けだろう。この部分は、最後にキーが上がる点も含めて、「イ」の母音がこれまでになく強調されている。
「幾千分」や「今すぐ」、「いっぱい」など、「イ」の母音を強調したフレーズが選択されている点も、この見立てを補強する。
また、Aメロでは「自分にせいいっぱい」「何も起こらない」のように、ネガティブな意味合いの「イ」の音だったのに対して、サビではプラスのニュアンスを帯びた「イ」の音になっており、「パラダイス銀河」を彷彿とさせる否定から肯定への転換構造となっている。
恐らくだが、大江千里は「イ」の母音の持つ強さに気づいて、上述の点を意識しながら作詞したのではないだろうか。
「パラダイス銀河」以降、少年冒険譚的要素を前面に押し出したシングルが連続してリリースされる。
「太陽がいっぱい」は、歌詞の内容や楽曲の雰囲気といった要素においてその系統を受け継いでいるが、「イ」の母音を全面的に活用しているという点でも集大成と言えるだろう。
おわりに
さて、「パラダイス銀河」から「太陽がいっぱい」にかけて展開された路線は、その後のシングルにおいても受け継がれたのだろうか。
8thシングル「荒野のメガロポリス」について少しだけ取り上げて、この記事の締めとしたい。
「荒野のメガロポリス」ではシングルとしては5作ぶりに、作詞・作曲 飛鳥涼、編曲 佐藤準のコンビが起用されたのだが、実は少年冒険譚的要素から一転、「STAR LIGHT」や「ガラスの十代」にも通じるダークな雰囲気に逆戻りしており、「イ」の母音の活用も見られなくなった。
母音が楽曲にもたらす効果について自覚していたと思われるASKAなので、意図があってのことなのだろう。
以上、光GENJIの初期シングル楽曲について、「イ」の母音に着目しながら鑑賞してきた。
執筆のきっかけとなった「ASKAの歌詞はなぜ素晴らしいのか?──母音的想像力試論」のようにクリティカルな分析とはならなかったが、この記事が母音による楽曲分析の一助となれば幸いである。
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