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ちょっとした考察や雑感を述べていきます。

シングルセールスとチャート推移で見る CHAGE and ASKA の40年

1. はじめに

2019年。それは、CHAGE and ASKAがまだ「チャゲ&飛鳥」表記だった1979年8月に「ひとり咲き」でメジャーデビューを果たしてから40年の節目でもある。
この記事では、CHAGE and ASKAが歩んできた40年の歴史を、これまでリリースしてきたシングルのセールスとチャートの推移を概観することで振り返ってみたい。
CHAGE and ASKAについてほとんど何も知らない方、かつてはファンだった方、あるいは最近の動向についても追っている熱心な方、様々な方々がCHAGE and ASKAをより深く理解する上での一助になれば幸いである。


(写真1)CHAGE and ASKAの二人
写真は「CHAGE and ASKA【CHAGE and ASKA Official Web Site】」より引用(2019年8月現在)。


目次





2. 使用するデータと図の表記の概要

CHAGE and ASKAのシングルのセールスとチャートの推移について、適宜図を確認しながら振り返ってみたい。まずは(図1)である。


(図1)CHAGE and ASKAのシングルの累計売上枚数およびチャートの最高位の推移
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(図1)では、CHAGE and ASKAがこれまでリリースしてきたシングルの累計売上枚数と、オリコンチャートでの最高位の推移について示している。なお使用したデータは、ウェブサイト「CHAGE and ASKA 映像情報メディア管理センター」の「売り上げデータ/シングル」のページの「CHAGE and ASKA」の項目の情報に基づいている。ただし、2004年4月7日に発売された、メジャーデビュー25周年の企画シングル盤「SEAMLESS SINGLES」のデータは省いている。
売上枚数やチャート最高位の具体的な数字を表形式で見たい方は、上記のサイトを直接参照してほしい。

また、本記事で取り上げる図を見ていく際に注意すべき点について指摘しておきたい。それは、シングルの売上を示す左軸が対数表示になっているということである。例えば、14thシングル「モーニングムーン」の累計売上は161230枚、CHAGE and ASKA最大のヒット作である27thシングル「SAY YES」の累計売上は2822450枚、売上にして10倍以上もの開きがあるものの、(図1)の棒グラフでは2倍程度の差として表示されている。棒グラフの表示をそのまま単純に比較してはいけないという点に注意していただきたい。
対数目盛を使用した理由は、CHAGE and ASKAの歴代シングルの売上の幅が200倍以上もの大きな開きがあり*1、これを均等目盛にして表示すると図の視認性が悪くなるためである。

長くなってしまったが、いよいよ図について見ていこう。(図1)を見てみると、売上やチャートの最高位の推移に大まかな波がある様子が読み取れるのではないだろうか。
そこで、(図1)に思い切って4つの時代区分を施してみた。それが(図2)である。


(図2)4つの時代区分に基づいた、CHAGE and ASKAのシングルの累計売上枚数およびチャートの最高位の推移
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また、シングルの売上枚数とオリコンチャートでの登場週数を重ねて表示して、そこに(図2)と同様の時代区分を設定した(図3)を用意した。なお、(図3)の左軸も対数表示である。


(図3)4つの時代区分に基づいた、CHAGE and ASKAのシングルの累計売上枚数およびチャートの登場週数の推移
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以下、(図2)と(図3)をふまえて議論を進めていきたい。次の第3章では、それぞれの時代区分においてリリースされたシングルや、その時のCHAGE and ASKAの動向について概観していく。


3. 4つの時代区分におけるCHAGE and ASKA

3.1. 第Ⅰ期(1979~85年)

(図2-1)第Ⅰ期(1979~85年)における、CHAGE and ASKAのシングルの累計売上枚数およびチャートの最高位の推移
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(図3-1)第Ⅰ期(1979~85年)における、CHAGE and ASKAのシングルの累計売上枚数およびチャートの登場週数の推移
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(図2-1)の第Ⅰ期のシングル群について見てみると、記念すべき1stシングル「ひとり咲き」(累計売上: 178710枚、最高位24位)、1981年のオリコンチャートで年間26位となり大ヒットした3rdシングル「万里の河」(累計売上: 537420枚、最高位6位)を除いて、累計売上が10万枚、チャートの最高位が25位を上回ったシングルが存在しない。
チャートの登場週数に関しても同様の傾向が見られる(図3-1)。「ひとり咲き」の登場週数は31週、「万里の河」の登場週数は30週であるのに対して、第Ⅰ期で最も登場週数の少ない12thシングル「誘惑のベルが鳴る」は4週となっており、その差は著しい。
1970年代から1980年代にかけては、ミュージシャンのテレビ番組への出演やCMなどのタイアップ、有線放送をきっかけとしたロングヒットという一連の流れが根強い時期でもあった。デビュー40周年を迎えたASKAへのインタビュー記事ASKA本人が振り返っているように、デビューシングル「ひとり咲き」の発売当初はチャートの順位が低迷していたものの、後に「夜のヒットスタジオ」にテレビ出演したことがきっかけとなって大きく売上を伸ばすことになった。3rdシングル「万里の河」も、「ザ・ベストテン」へのテレビ出演がロングヒットへの契機となっている。
この時期の特徴として、テレビ出演などのきっかけがあれば大ヒット、ロングヒットになる一方で、ヒットに結びつかないシングルも存在しており、売上やチャート推移が不安定であるという点が指摘できるだろう。後に詳しく言及するが、この時期はチャゲ&飛鳥のレコードを毎回熱心に購入する「固定ファン」が比較的少なかったため、売上が著しく上下して浮動的であったのではないかと考えられる。裏を返せば、「ひとり咲き」や「万里の河」といったシングルはファンの壁を越えて広く一般に知られるようになった楽曲であると言える。


また、第Ⅰ期におけるチャゲ&飛鳥の作風についても注目してみたい。
「ひとり咲き」や「万里の河」に代表される初期の楽曲は、女性視点かつ恋愛にまつわる(誤解を恐れずに言えば、型に嵌った、ステレオタイプ的な)歌詞であり、東洋的な雰囲気を強く帯びていた歌謡曲だった(動画1)。



(動画1)1979年11月「夜ヒット」初登場のチャゲ&飛鳥が熱唱する「ひとり咲き」。
出演予定だった吉田拓郎がドタキャンしたため、その尺を埋めるために急遽抜擢されたのがチャゲ&飛鳥だった。本来は吉田拓郎外は白い雪の夜」に合わせたセットだったため、大量の雪が舞う演出になっている。


これらの楽曲のイメージは、先ほど言及したASKAへのインタビュー記事から引用すれば、「演歌フォーク」や「大陸的な歌」という言葉で形容可能だろう。しかしながら、このように周囲から求められる「演歌フォーク」的な作風と、ASKAが本来慣れ親しんでいた映画音楽的な作風との間には大きなギャップがあり、音楽の方向性に悩まされることになる。そうした中で、チャゲ&飛鳥は徐々にポップソング路線へと舵を切っていく。その転機となった楽曲が、10thシングル「MOON LIGHT BLUES」である(動画2)。



(動画2)1984年2月発売、10thシングル「MOON LIGHT BLUES」のMV。
CHAGE and ASKAのYouTube公式チャンネルで公開されているMVの中では最も古い楽曲。


この楽曲を契機に、ASKAはピアノを使って作曲をするようになっていく。「ひとり咲き」や「万里の河」の頃のフォーク色は薄れて、ジャジーな雰囲気が漂う仕上がりになっている。
累計売上は29700枚、チャートの最高位は52位。数字だけを見るとヒットした楽曲とは言い難い。だが、いくつかのサイトやブログで触れられているように、スナックのカラオケで根強い支持を獲得していたという話もある*2。著しい作風の変化もあって、かつては「フォーク演歌」を歌っていたチャゲ&飛鳥の楽曲だと気づかずにカラオケしていた人もいたのではないだろうか。


そして、この時期のチャゲ&飛鳥を語る上で欠かすことができない楽曲をもう1つ紹介しておきたい。石川優子チャゲの「ふたりの愛ランド」だ。



(動画3)1984年4月発売、石川優子チャゲ「ふたりの愛ランド」のMV。
この楽曲もCHAGE and ASKAのYouTube公式チャンネルにて公開されている。


この記事の図の中には組み入れていないが、セールスやチャート順位的に見ても特異な楽曲であるため触れておきたい。
「ふたりの愛ランド」の累計売上は44万枚と、「万里の河」を除いたチャゲ&飛鳥の大半のシングルを大きく抜き去っている。最高位に関しては3位と、「万里の河」の6位を上回っているのだ。
「演歌フォーク」や「大陸的な歌」のパブリックイメージがまだ強かった当時のチャゲ&飛鳥の枠を越えて、底抜けに明るくてひたすらキャッチーだったが故に大ヒットに結び付いた、という見方も可能かもしれない。チャゲの卓越したメロディメイカーとしての側面が如実に表れている楽曲だと言えるだろう。


3.2. 第Ⅱ期(1986~90年)

(図2-2)第Ⅱ期(1986~90年)における、CHAGE and ASKAのシングルの累計売上枚数およびチャートの最高位の推移
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(図3-2)第Ⅱ期(1986~90年)における、CHAGE and ASKAのシングルの累計売上枚数およびチャートの登場週数の推移
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今度は第Ⅱ期について見ていこう。
この時期の間にCHAGE and ASKAの表記は、チャゲ&飛鳥からCHAGE&ASUKA、そしてCHAGE&ASKAへと目まぐるしく変化した。また、第Ⅰ期から第Ⅱ期の移行期には、レコード会社をワーナー・パイオニア(現: ワーナーミュージック・ジャパン)から、キャニオン・レコード(現: ポニーキャニオン)へと移籍している。

こうした事情をふまえて、(図2-2)や(図3-2)を見てみよう。
(図2-2)の第Ⅱ期のシングル群の累計売上(橙色の棒グラフ)は、14thシングル「モーニングムーン」を除いて数万枚程度であり、第Ⅰ期と比べてさほど変化はない。しかしながら、青色の折れ線グラフで示されたチャートの最高位に着目してみると、第Ⅱ期に入った途端に跳ね上がっているのが確認できる。この時期のシングルは全てオリコンチャート30位圏内にランクインしているのである。
その一方で、(図3-2)を見てみると、チャートの登場週数(緑色の折れ線グラフ)は第Ⅰ期の後期になると下がっていき、第Ⅱ期でもその傾向を引き継いでいる。第Ⅱ期において登場週数が10週を超えるのは、14thシングル「モーニングムーン」(17週)と、20thシングル「恋人はワイン色」(11週)の2作のみである。残りのシングルは全て10週未満なのだ。

この第Ⅱ期の傾向から何を言えるだろうか。
直接データを参照できていないため間接的な推測に留まるが、初動売上が増加したのではないかと思われる。ひいては、シングルセールスにおける固定ファンが増加したのではないかと推察できる。つまり、シングルが発売された週内に購入する熱心なファンが増加してチャートの最高位を押し上げた一方で、大半のシングルは「ひとり咲き」や「万里の河」のようなロングヒットにはならず、結果として累計売上は第Ⅰ期と同程度、ということである。

また(図2-2)を見てみると、(「モーニングムーン」を除いて)累計売上が5万枚を超えており他のシングルと比較して突出している3作が目に付く。18thシングル「SAILOR MAN」は、「JAL '87 沖縄キャンペーン」のCMソング、20thシングル「恋人はワイン色」はテレビ朝日系ドラマ「あぶない雑居カップル」の主題歌、25thシングル「DO YA DO」はTOYOTAスプリンターカリブ」のCMソングと、どれもテレビ関連のタイアップとなっている。特に熱心なファンでなくても楽曲を耳にする機会を増やすCMソングやドラマの主題歌のタイアップは、売上も相対的に大きくなる傾向があると言える。

第Ⅱ期の特徴として、14thシングル「モーニングムーン」を皮切りに(シングルのセールス面での)固定ファンを獲得したことでチャートの最高位が高水準で安定するようになった一方、累計売上や登場週数に関しては第Ⅰ期後期と同様の傾向を引き継いでおり、CMソングやドラマの主題歌といったリーチが広いタイアップが付いたシングルは相対的に売上も伸ばしたという点が指摘できるだろう。


さて、第Ⅱ期のシングル群の音楽性を概観するにあたり、絶対に外してはいけない楽曲がある。これまで何度も言及してきた「モーニングムーン」だ(動画4)。



(動画4)1986年2月発売、14thシングル「モーニングムーン」のMV。
次の15thシングル「黄昏を待たずに」も該当するが、チャゲアス本人出演のドラマ仕立てのMVになっている。


ピアノ・キーボードを主体とした作曲、シンセサイザーを多用したアレンジ。かつての「フォーク演歌」色はもう見られず、ポップス・ロック路線への転換を告げるのに相応しい一曲に仕上がっている。「モーニングムーン」が収録された、1986年4月発売の7thアルバムのタイトル名は「TURNING POINT」。レコード会社の移籍、劇的な音楽性の変化。まさにターニングポイントだったというわけだ。


第Ⅱ期の後期になってくると、CHAGE&ASKAはメロディアスでAOR志向の楽曲をリリースするようになっていく。この記事で何度も参照しているASKAへのインタビュー記事にその経緯が述べられているが、Chicagoの「Hard to Say I'm Sorry(素直になれなくて)」などのプロデューサーとして知られているデイヴィッド・フォスターの影響が大きいという。ASKA本人の弁によれば、初めてフォスターを意識して制作した楽曲が24thシングル「LOVE SONG」だ(動画5)。



(動画5)1989年6月発売、24thシングル「LOVE SONG」のMV。
チャゲアス大ヒット後の1992年3月にシングルとして再発売されており、そちらのバージョンの方が認知度は高いかもしれない。


シングルとして最初にリリースされたのは1989年6月。だが3年後の1992年3月に23rdシングル「WALK」と共に再発売、それと同時に「LOVE SONG」や「WALK」も収録したベストアルバム「SUPER BEST II」がリリースされており、さらには同時期に「JAL '92 沖縄キャンペーン」のCMソングにもなったため、世間一般としては90年代の印象が強い楽曲かもしれない。90年代初頭にシングルとして世に出ることになる「SAY YES」や「if」といった上質な楽曲群と比べても遜色ない、埋没しないという点に、「LOVE SONG」という楽曲の完成度の高さが窺える。


また、この時期のCHAGE&ASKAを語る上で外せないのが、光GENJIに代表されるアイドル・歌手への楽曲提供だろう。光GENJIの2ndシングル「ガラスの十代」や3rdシングル「パラダイス銀河」、暫く間を空けてリリースされた8thシングル「荒野のメガロポリス」などの楽曲はASKAの作詞作曲によるものだ。もちろんCHAGEの果たした役割も見逃してはならない。1987年8月リリースのデビューシングル「STAR LIGHT」やファン人気の高い一曲「Graduation」などの作曲は彼に負うところが大きい。
ちなみに、光GENJIへの提供曲のアレンジは井上陽水「Make-up Shadow」などの作・編曲で知られる佐藤準によるものだが、彼は「モーニングムーン」の編曲も手掛けている。ダークで都会的な雰囲気が「ガラスの十代」や「荒野のメガロポリス」のアレンジに受け継がれていると言えるだろう。

光GENJI以外にも、中山美穂早見優、荻野目洋子、酒井法子中森明菜、少年隊など、80年代アイドルを中心とした歌手・ミュージシャンへ100曲を超える楽曲提供を行っていたことを忘れてはならない。この記事でその全てを紹介することはできないので、提供曲の一覧については他サイトの「http://www.tomokosugimoto.net/ca/song_db/offer_list.jsp」のページを参照してほしい。職業作家としてのCHAGE&ASKAの側面が実感できるはずである。


第Ⅱ期のCHAGE&ASKAは、ピアノ・キーボードによる作曲とAOR・洋楽志向の作風への転換、そして数多くの楽曲提供の経験、これらが上手く溶け合って昇華された結果、固定ファンの獲得やチャートの上昇といったセールス面での変化に繋がったのではないだろうか。ひいては、次の項目で述べる第Ⅲ期の爆発的大ヒットの伏線となっていくのである。


3.3. 第Ⅲ期(1991~96年)

(図2-3)第Ⅲ期(1991~96年)における、CHAGE and ASKAのシングルの累計売上枚数およびチャートの最高位の推移
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(図3-3)第Ⅲ期(1991~96年)における、CHAGE and ASKAのシングルの累計売上枚数およびチャートの登場週数の推移
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日本人に広く受け入れられているCHAGE&ASKAのパブリックイメージが最も強い時期は、恐らくこの第Ⅲ期だろう。
(図2-3)を見てみると、第Ⅱ期末期、1990年6月に発売された25thシングル「DO YA DO」の累計売上は67210枚、チャートの最高位は10位だったのに対し、翌年の1991年1月にリリースされた26thシングル「太陽と埃の中で」の累計売上は502720枚、最高位は3位と大幅に上昇している。チャートの登場週数に至っては、前者は8週、後者は63週であり、その差は(図3-3)に如実に表れている。
そして1991年7月リリースの27thシングル「SAY YES」(動画6)。累計売上2822450枚、登場週数39週。デビュー12年目にして初の1位獲得シングル。その勢いで13週連続1位。フジテレビ系列の月9ドラマ「101回目のプロポーズ」主題歌。表面的なデータをいくつか並べてみたが、これ以上説明を加えるまでもないだろう。



(動画6)1991年7月発売、27thシングル「SAY YES」のMV。
ダブルミリオンを記録した、CHAGE and ASKAの代表曲。


1991年を境にCHAGE&ASKAのセールスとチャート推移は一変した。
数十万単位の固定ファンに加えて、「101回目のプロポーズ」や「振り返れば奴がいる」などの高視聴率ドラマのタイアップとの相乗効果で、発売されたシングルは時にミリオン・ダブルミリオンレベルで大ヒットするようになった。過去のシングルの再発売
(「WALK」と「LOVE SONG」)や既にリリースしたアルバムからのシングルカット(「太陽と埃の中で」、28thシングル「僕はこの瞳で嘘をつく」、33rdシングル「You are free」、34thシングル「なぜに君は帰らない」)で相対的に売上が見込みにくい場合を除いて、最高位1位、2位がチャートの定位置となった。累計売上の増加に伴ってチャートの登場週数も増加、「太陽と埃の中で」のように1年以上ランクインし続けるロングヒットも生まれた。

一つ言及しておきたいのが、「SAY YES」の爆発的な大ヒットは決して偶然ではないという点だ。
第Ⅱ期における新たな音楽性の萌芽、「太陽と埃の中で」や(後に少し触れる)ASKAの3rdソロシングル「はじまりはいつも雨」のヒットを経た上での到達点だということを見過ごしてはならない。


第Ⅲ期のシングルの作風については、大まかに言えば第Ⅱ期の後期の延長線上にある。
美しいメロディを突き詰めたラヴバラードの「SAY YES」や29thシングル「if」、ロンドンでレコーディングされ、洒脱なサウンドと温かみを感じるコーラスワークが魅力的な「太陽と埃の中で」や30thシングル「no no darlin'」、アメリカ出身のアカペラグループ、14カラット・ソウルのコーラスが映えるスローナンバーの32ndシングル「Sons and Daughters 〜それより僕が伝えたいのは」*3、33rdシングル「You are free」などが該当する。
その一方で、28thシングル「僕はこの瞳で嘘をつく」や31stシングル「YAH YAH YAH/夢の番人」(動画7)、34thシングル「なぜに君は帰らない」のように、第Ⅱ期後期から第Ⅲ期にかけてCHAGE&ASKAが築き上げてきた「甘美なラヴソングをゆったりと歌い上げる」というパブリックイメージを打ち破るアップテンポのナンバーも断続的にリリースしている。第Ⅰ期の頃とは違って、凝り固まったパブリックイメージを抱かせまいとする気迫を感じさせる。



(動画7)1993年3月発売、31st両A面シングル「YAH YAH YAH」のMV。
「SAY YES」とは雰囲気が180度異なる楽曲を200万枚以上売り上げたことで、世間に音楽性の幅の広さを知らしめた。シングル2作のダブルミリオンヒットは、CHAGE and ASKAMr.Childrenのみ(2019年8月現在)。


第Ⅲ期の後期になると、ギターの弾き語りという原点に立ち返ったかのような印象を抱かせる36thシングル「めぐり逢い」(動画8)、重厚感のある全編英語詞のロックナンバーであり、ハリウッド映画「ストリートファイター」のエンディングテーマでもある37thシングル「Something There」など、これまで歩んできた路線とは異なる作風のシングルもリリースするようになった。この路線については、1995年発売の17thアルバム「Code Name.1 Brother Sun」や、翌年の18thアルバム「CODE NAME.2 SISTER MOON」の収録曲という形で掘り下げられていくことになる。



(動画8)1994年11月発売、36thシングル「めぐり逢い」のMV。
何故かMVがフルコーラスで制作されていない。フジテレビ系列の月9ドラマ「妹よ」の主題歌であり、CHAGE and ASKAのシングルの中で3番目のヒットを記録している。


第Ⅲ期の後期は、CHAGE&ASKAの海外進出が盛んになる時期でもある。香港、シンガポール、台湾で大規模なアジアツアーを開催。「MTV Unplugged」への出演や、チャカ・カーンカルチャー・クラブボーイ・ジョージなど海外のミュージシャンが参加したトリビュート・アルバム「one voice THE SONGS OF CHAGE&ASKA」もリリースされた。
そして一時期のチャゲアスブームも落ち着きを見せた1996年、CHAGE&ASKAとしての活動を休止して二人はソロ活動へと舵を切っていくことになる。


3.4. 第Ⅳ期(1999~2007年)

(図2-4)第Ⅳ期(1999~2007年)における、CHAGE and ASKAのシングルの累計売上枚数およびチャートの最高位の推移
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(図3-4)第Ⅳ期(1999~2007年)における、CHAGE and ASKAのシングルの累計売上枚数およびチャートの登場週数の推移
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デビュー20周年の1999年3月、CHAGE&ASKAは活動を再開して、39th両A面シングル「この愛のために/VISION」をリリースした。その後、レコード会社の移籍、CHAGE and ASKAへの表記変更を経て、2009年の活動休止に至る。

さて、(図2-4)や(図3-4)から第Ⅳ期の傾向を読み解いてみよう。
(図2-4)を見ると、第Ⅲ期と比較して売上が落ち着いており、CDバブル前の第Ⅱ期と同程度の売上になっている様子が読み取れる。その一方で、チャートの最高位に関しては10位を下回ることはなかった。
また(図3-4)を見ると、登場週数は3週から6週の間に収まっており、第Ⅰ期や第Ⅲ期に見られたロングヒットの傾向は窺えない。
これらの傾向を要約すれば、第Ⅳ期のCHAGE and ASKAのシングルはリリース直後に数万人単位の固定ファンによって購入され、その結果チャートが押し上げられていたと言えるだろう。

なお、第Ⅲ期から第Ⅳ期にかけては3年近くのブランクがあるため、(図2)では断絶がより強調されたものになっている。そこで、(図2)にASKAのソロシングルのデータを書き加えて4つの時代区分も施した(図4)を用意した。データの引用元はこれまでと同様のサイトであるが、2008年10月発売の10thシングル「UNI-VERSE」と2009年2月発売の11thシングル「あなたが泣くことはない」は累計売上が計上されていないため、(図4)には記載していない。


(図4)4つの時代区分に基づいた、CHAGE and ASKAのシングルおよびASKAのソロシングルの累計売上枚数およびチャートの最高位の推移
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(図4)を見ると、1996年2月発売の38thシングル「river」と1999年3月発売の39thシングル「この愛のために/VISION」の間にASKAのソロシングルが3作リリースされており、徐々に売上を落としている様子が読み取れる*4。しかしながら、この傾向はCHAGE&ASKAのソロ活動後に起こった訳ではなく、むしろ1995年以降にかけてのチャゲアスブームの落ち着きの延長線上にあると見る方が妥当だろう。

また、第Ⅲ期の初頭に目を向けてみると、1991年にリリースされた「太陽と埃の中で」、「はじまりはいつも雨」、「SAY YES」の3作がホップステップジャンプと段階を踏んで売上を伸ばしている様子も分かる。突然「SAY YES」が大ヒットした訳ではないということの証左になるだろう。


第Ⅳ期のシングルの音楽性は、これまで以上に一概にまとめることが難しい。
90年代のUKロックの影響が色濃い「この愛のために」(動画9)、爽やかなサウンドに婉曲的な歌詞のラヴソングとなった42ndシングル「パラシュートの部屋で」、1996年から98年にかけての「ニュースステーション」のオープニングテーマだった楽曲を歌い直した45thシングル「36度線 -1995夏-」など、実に多彩なシングル群となっている。



(動画9)1999年3月発売、39thシングル「この愛のために」のMV。
MVの撮影場所となった横浜ビジネスパークの「ベリーニの丘」は、B'zの16thシングル「ねがい」で見覚えがある人もいるのではないだろうか。


このような作風の変化は、「この愛のために」の中で「大事なものが変わってきた」と歌われている通り、長年の活動を経て変化してきた心境を反映したものだと考えられる。
そして、これまでの積み重ね、それによる引き出しの多さが第Ⅳ期の作風にも生かされている。41stシングル「ロケットの樹の下で」は90年代後半のASKAのソロ活動を引き継いだバンドサウンド、「この愛のために」との両A面シングル「VISION」は二人のユニゾンを改めて意識したChageによるナンバー、Chageが手掛けた48thシングル「Here & There」と同時発売された47thシングル「Man and Woman」(動画10)は、第Ⅲ期の前半を彷彿とさせる壮大なサウンドに、ASKAがソロ活動期に深化させた輪廻転生思想を匂わせる歌詞が上手く溶け合っている。いずれも第Ⅳ期だからこそ生み出された楽曲だと言える。



(動画10)2007年1月発売、47thシングル「Man and Woman」のMV。
同時発売された48thシングル「Here & There」と同様、3万枚限定生産シングルとなっている。


2009年の活動休止後、CHAGE and ASKAはそれぞれソロ活動に入る。2013年には活動再開のニュースがあったものの、結局実現されぬまま10年もの月日が流れ、今に至っている。


4. おわりに

CHAGE and ASKAがこれまでリリースしてきたシングルのセールスとチャートの推移を概観することで、彼らが歩んできた40年の歴史を振り返ってみた。
当然ながら、シングルのカップリングやアルバム収録曲に目を向ければ多種多様な音楽性が広がっており、4つの時代区分に則ってもなお音楽性を一概に言えないことは重々承知している。だが、ミュージシャンの「顔」としてのシングルの傾向については大まかではあるが言及できるのではないかと思い、この記事を書き終えた。これまで図で示してきたCHAGE and ASKAのシングルのセールスとチャートの推移は、音楽性の変化に連動していることが分かったのではないだろうか。


この記事では当初、以前執筆したB'zのシングルCDの売上記事のように、CHAGE and ASKAのシングル売上についても散布図や回帰分析を導入して通時的な分析を試みようとしていた。しかし、B'z以上に長いキャリアがあり初動売上のデータ入手の制約もあったCHAGE and ASKAでは同様の分析は容易ではなく、棒グラフと折れ線グラフで歴代のシングルを時系列で表示するに留まった。それでもなお、セールスやチャートの変化が明瞭に表れていることが確認できた。同様の分析は、CHAGE and ASKA以上に長いキャリアで2019年現在も精力的に活動を続けているサザンオールスターズTHE ALFEEなどのミュージシャンに対しても有効だろう。


昨年の2018年に公開されたASKAの公式ウェブサイトのページによれば、40周年を迎える2019年という節目にCHAGE and ASKAとしての活動予定はないと明言されている。だが、今年の3月にCHAGE and ASKAのYouTube公式チャンネルで「太陽と埃の中で」のセルフカバーバージョンのMV(動画11)が公開されたり、日本文化開放政策を受けて2000年8月に韓国で行われた親善コンサートが初DVD化される*5など、少なからぬ動きが見られる。
左右それぞれの道を歩む二人がいつかまた並び立つ日も来るのかもしれない。



(動画11)2002年11月発売のセルフカバーアルバム「STAMP」収録の「太陽と埃の中で」のMV。
青春の輝きや熱量を持っていた原曲とはまた異なる、少し力を抜いて洒脱にしたバンドサウンドのアレンジやゴスペル風のコーラスワークが映える一曲。




【関連記事】
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散布図と回帰分析を用いて、B'zのシングルCDの初動売上から累計売上を予測し、各時代の特色のまとめを試みた記事。



tabunsakatsu.hatenablog.com
ASKAの楽曲「東京」を取り上げて、東京の地形・情景描写や、「第二の故郷」に対する場所愛―トポフィリア―を読み解き、ポピュラー音楽と地理の関係性を提示した記事。




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*1:CHAGE and ASKAの最大売上は27thシングル「SAY YES」の2822450枚、最小売上は12thシングル「誘惑のベルが鳴る」の13800枚。約205倍もの売上の差がある。

*2:「MOON LIGHT BLUES」がスナックで歌われていた例として、下のブログ記事を紹介しておきたい。 https://sekisv.com/?p=3513sekisv.com このブログでは、1991年以降のCHAGE and ASKAの動向についても筆者の体験談をふまえてまとめられており、当時のチャゲアスを知る上で非常に参考になる。

*3:正確には、16thアルバム「Red Hill」収録バージョンの「Sons and Daughters 〜それより僕が伝えたいのは」で初めて14カラット・ソウルのコーラスワークが取り入れられている。

*4: (図4)では、CHAGE&ASKAのソロ活動期に徐々に第Ⅲ期から第Ⅳ期へ移行したニュアンスを出すため、時代区分の境界に幅を持たせて表現している。

*5:CHAGE and ASKAメジャーデビュー40周年におけるライブDVDの販売については、「リリース情報 | INFORMATION【CHAGE and ASKA Official Web Site】」を参照。