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たぶん大丈夫なブログ

しょうもない考察や雑記を述べていきます。

プリキュア尽くしのルポルタージュ

今日、2015年12月6日(日)はプリキュア尽くしだった。

一つ目は、朝8時30分開始のアニメプリキュア本放送。

二つ目は、昼に観に行った劇場版プリキュア

三つ目は、プリキュアプリティストア大阪本店で開催されたきららちゃんのサイン会。

導入に余計な言葉はいらない。早速順を追って述べていこう。
キュアトゥインクル「お覚悟はよろしくて?」
(上記の言葉が余計だと言われたらその通りだと返すしかないですね……。)


一つ目、プリキュアのアニメ本編について。

今週は先週に引き続いてきらら回。プリキュア業とモデル業の両立に悩み、モデル業の方を辞めると宣言したきらら。しかし、はるか達が学校内でのファッションショーを開催しようと試み、きららを誘う。ランウェイを歩き終わり、きららが呟いた「あーあ、やっぱり楽しいや」という言葉からはモデル業に戻る決心が表れていた。そして、翌年の春にはパリへと旅立ち、はるか達と離れ離れになるという決意も固めたのだった……。
あらすじを述べるとすればこんな感じだろうか。

……もうね、素晴らしいよね。今まで抑え気味にあらすじを述べたけど、やっぱり無理だわ。青春そのものでしょ。こういう変身系アニメで、悪との戦い(プリキュアなど)と本業(部活、仕事など)を天秤に掛けて、結局どっちも選べばいいじゃない!みたいな王道を往く選択肢が多い中、一旦はプリキュアを選ぶっていうイレギュラー要素がぐっとくるよね(どっちも選ぶ決断をしたきらら初登場回との対比も素敵)。そしてパリでモデルとしての道を極めることにより、仲間達と別れてしまうという境遇。いやー、これでもかとぶっ込まれる青春要素、キュンキュンしない訳がない。少女向けアニメだからって手を抜いていない、全力疾走というわけです(子供向けアニメはどれも力を入れて作られていると思っています、毎週ポケモン妖怪ウォッチを観ている身としては)。前回にしろ今回にしろ、余韻として残る切なさが実に良い。少女向けアニメにちょっぴり大人のエッセンスを加えた感じ。
他にも、これまで出てきたモブキャラがファッションショーに登場したのは嬉しい展開。被り物アイドルとして視聴者にインパクトを残した一条らんこや、テニス一筋の松岡修造藍原ゆうき、婦警コスやナースコスが眩しかった瀬川ひとみと神田ようこ(きららからはひとみんとようたんと呼ばれていた)などなど、これまで登場したモブキャラ達が勢揃い。とうとう12月に入り、Go!プリンセスプリキュアも残すところ2ヶ月を切ったのだと実感させてくる。
あと述べるとすれば、次週のみなみさんの内容との繋がりだろうか。自身の夢について見つめ直し、邁進していくことを決意したきららの姿を見てみなみさんの心境にも変化が生じたようだ。海藤財閥の跡継ぎになると思い込んでいたみなみの心の中でくすぶり続ける海への想い。それをきららが掘り起こしたのだろう。……ね、こういう要素がぐっとくるんですよ。ぐっとくる要素の連鎖反応に僕の心はノックアウト。

ただ、今回の記事で述べたい内容はアニメ本編というよりも残りの二つについてなので、この辺りで話を切り上げよう(充分過ぎるほど書いた気もするけど)。

twitter.com
どうしても触れておきたかったのでツイッターより引用。「一条らんこ」が文字フォントの関係で「一条うんこ」に見えてしまう問題は健在。


二つ目、映画「Go!プリンセスプリキュア Go!Go!!豪華3本立て!!!」について。

実は、この映画は公開初日に先輩と一緒に観に行った。元々前売券を買っていたのだが、映画館へと向かう電車内で持ってくるのを忘れたことに気づき、その日は追加で購入する羽目に。1ヶ月以上経った今日になってやっと前売券分の映画を鑑賞する機会に恵まれたという訳だ。
ここでは映画そのものの感想をメインで述べるつもりはない。周囲に本来の対象年齢の鑑賞者(つまり女児、女子ということ。別名「幼女先輩」)が大勢いる状況下、男子大学生が一人で映画を鑑賞するというシチュエーションについて述べようと思う。それに関連して、大人や保護者の立場から観たプリキュア映画について掘り下げようと思う。

少しだけ自分の劇場版プリキュア遍歴について語らせてほしい。記憶に残る範囲でプリキュア映画を映画館で観たのは、昨年度の「ハピネスチャージプリキュア!」の「ハピネスチャージプリキュア! 人形の国のバレリーナ」が最初だった(ひょっとすると妹に同行して「ふたりはプリキュア Max Heart」の映画を観に行った可能性があるが、そもそも行ったかどうか覚えていない)。そして毎年恒例の春映画「プリキュアオールスターズ 春のカーニバル♪」と今回の映画の計3本を劇場で観たことになる(残りの過去作は某レンタルショップなどでDVDを借りて視聴した)そしてその3作とも、幼女先輩と鉢合わせする可能性が限りなく低い、一番遅い時間帯で鑑賞していたのである。
一転、今日映画を観に行った時間帯は13時を少し過ぎた頃。昼食を終えて幼女先輩が映画館へと足を運びやすいお昼時だ。つまり、必ず幼女先輩と鉢合わせしてしまうのである。
これには戸惑った。これまでプリキュアを映画館へ観に行くといっても、周囲は大きいお友達ばかり。しかも時間帯が時間帯なだけに人の数もまばら。はるかに鑑賞しやすい環境だった。それが一転、今回は完全アウェーな状況下で鑑賞しなければならない、その精神的圧迫感や如何に。言うなれば、彼女に引き連れられてランジェリーショップに来たものの、目のやり場に困りモジモジシテしまう彼氏の心境である(偉そうに書いときながら完全なる妄想の産物です)。
とはいえ、何とかなるのではないかと算段を立てていた。それは、映画が公開されてから一ヶ月以上経っており、映画を観に来る幼女先輩の数も自ずと減るだろうという予測である。その望みを胸に、大阪中心部に位置する映画館へと足を運んだ。
……多い多い、幼女先輩で映画館が溢れかえっている。困ってしまった。だが来てしまった以上仕方がない。せめて、幼女先輩の迷惑にならないよう(身長の高さで視線を遮らないよう)後方の角の席を選択する。もちろん、人目に付きにくいということも考慮している。
シアターが開場される前、自分と似た雰囲気の大きなお友達がそれなりにいるという状況に少し勇気づけられた。しかし、これはとんだ思い過ごしだった。劇場版ガールズ&パンツァーを観に来たオタク共だったのだ。そうなのね、ガルパンも上映していたのね……。
という訳で、結局大きなお友達はほとんどいなかった。アウェーはホームにならなかった。だが、そんな状況も一度は味わっても良いんじゃないかと内心ウキウキしている自分がいた。
座席につき、周囲の状況を確認する。確かに幼女先輩が多い。そして引率の保護者が多い。子供の要望に応えて疲れた体に鞭打ち、一緒に遊びに出掛けるお父様、お母様方の休日の苦労を察する。でもその苦労が将来のかけがえのない財産になるのだと思うと涙腺が緩む。子供(親)と触れ合える時に触れあっておかないと、将来独り立ちしてからではなかなか会える機会がない。もっと一緒に過ごしておけばよかったと思っても後の祭りなのだと、一人暮らしをしている今、強く実感している。
複雑な心境下、あるお父様の姿を見かけた時にふと思ったことがある。自分も最早おっさんだ。実年齢はピチピチのナウいヤング(死語)でも、見た目は完全に老けたおっさんだ。ともすれば映画館に来ているお父様方よりも老けて見えるかもしれない。それはつまり、自分が子供を引き連れた保護者だと思われても何ら不思議ではないということ。将来、子供を引き連れて映画館に来るのだろうか。そんなありもしない未来を想起して少し切なくなった。
隣に座ったのはお母様方のグループ。前の座席に幼女先輩方が座る形になった。自然と自分もその形態に組み込まれる。なおさら保護者感が漂うが、自分は一切関係ない、真昼間にプリキュアを一人で観に来た気持ち悪いしがない男子大学生。ただ、保護者の心情は察することが出来た。子供の姿を確認しながら映画を鑑賞するこの形態は都合がいい。それはつまり、映画に完全には没頭できないという保護者の悲しい運命も含意している。

……ちょっと文章が湿っぽいので明るい話題を一つ。プリキュアの映画では中学生以下の鑑賞者にミラクルライトというアイテムが渡される。これはプリキュアがピンチに陥った時、幼女先輩が振って応援するための道具なのだが、それが一斉に点灯してユラユラと揺れ動く光景が圧巻なのである。今年の映画は表題にもあるようにパンプキンがモチーフとなっており、ミラクルライトの色も黄色だった。一斉に点灯した黄色は、まさに蛍が飛び交う光景だった。「塔の上のラプンツェル」の灯篭流しもモデルになったタイの「コムローイ祭り」のようだった。あの光景を観に行けただけでも、昼間に映画を観に行った甲斐があるというものだろう。
なんせ今までのプリキュア映画は大きなお友達しかいない空間でしか鑑賞していない。当然ミラクルライトは誰も貰えないし、誰も振ることが出来ない。プリキュアがピンチに陥っているにも関わらず、大きなお友達はその対象年齢外という運命故に何も出来ないのだ。その虚しさたるや。画面越しにプリキュアや妖精達が「ライトを振って」と熱を持って語りかけてくる。でもオタク共はそれをただ黙って見ているだけしかできない。心の中で「ぷいきゅあー!がんばえー!」と応援していてもどこかやり切れない思いが残ってしまう。だからこそ今回、本来の形でのプリキュア映画鑑賞に関わることが出来て喜びを感じているのだ。

二つ目の話題も長くなってしまった。最後に一つだけ、保護者にまつわる内容を述べて締めくくろう。
この映画には泣き所が幾つか存在する。その一つ(少しだけネタバレです)、洗脳から目を覚ました王様とお妃様が娘のもとへ駆け寄るシーンがある。このシーンを初めて劇場で観た時、涙が出そうになった。隣に先輩が座っているという関係上なんとか堪えたが、それでも鼻水は出てしまった。今回そのシーンで、恐らく隣のお母様が泣いておられた。
うん、そうだよ。やっぱりあのシーンは泣いてしまうんだよ。今回の映画のテーマの一つに親子愛というものがある。それが強く表れているのがあのシーンなのだ。親子愛というテーマに強く反応してしまうのは、親元を離れてありがたみを痛感する人や、自身が親という立場になり子供に対して愛情を注ぐ人だろう。そう、親子愛というテーマでキモオタ大学生と引率の保護者方は一体となったのである。子供達にはまだピンと来ないだろう。でもいずれ分かる時がやって来る。今回、幼女先輩とその保護者方に囲まれながらそんなことを考えていた。ちゃんとした言葉で言い換えるならば、子供という立場と大人という立場、両方の立場から見ても面白いと思える多層的な物語は素晴らしいということです。お後がよろしいようで。


三つ目、きららちゃんのサイン会について。

このサイン会の詳細は下記の公式ツイートを参照してほしい。

twitter.com
キュアトゥインクル(天ノ川きらら)がプリキュアプリティストア大阪本店にやって来て、サイン会を開くという内容。別の時間帯には2ショット撮影会も行われた。


正直に言うと、最初は映画を観に行くついでという要素が強かった。3240円(税込)の買い物をすることでサイン会に参加できるという敷居の高さでこれまでのイベントは敬遠していたのだが、きららちゃんのサイン会は今回が最後だと知って参加したようなものだ。もちろん、純粋にきららちゃんに会いたい、こういうイベントがどのようなものか知りたいという事情も含まれていたが……。
だが、そんな浅はかな考えはサイン会に参加して打ち砕かれた。率直に言おう。きららちゃんは天使だった。

いつものように阪急梅田駅三番街の地下一階に位置するプリティストアに到着すると、いつも以上に人で溢れていた。しかもその半数以上は大きなお友達だ。
舐めていた。こんなにも人が集まっているとは。とらのあなに行って薄い本を検分したり、ビルの取り壊し現場に眺め入ったり、梅田新道交差点で国道1号線と2号線の結節点を悠長に観察したりしている場合ではなかった。前から目をつけていた数量限定のキュアフローラのぬいぐるみと、キュアスカーレットのミニトートバッグ、そしてサインを書いてもらうための団扇をそそくさと購入した。
列に並ぶと大きいお友達の姿が目に留まる。割合としては、大きいお友達(男性)5割、幼女先輩とその引率の保護者3割、大きいお友達(女性)2割といったところだろうか。当然、自分は大きいお友達(男性)5割に属する。
大きいお友達を観察してみても千差万別だ。髪を金髪に染めて厳つめの格好をしたプリキュアには縁のなさそうな人から、保護者として来ていてもおかしくないようなお父様感溢れる人、オタク仲間同士で仲良く参加した様子の人、妙齢のおじ様、手ぬぐいを頭に巻きいかにもオタクの姿をした人(10年前のステレオタイプ的オタク像を見ているかのよう、電車男が頭をよぎる)など、大きいお友達と一括りにはできない多様性がある。
暫く待っているときららちゃんが舞台袖から登場した。最初は写真撮影の時間があてがわれるらしい。前から5列目まではしゃがんでもらい、写真撮影開始。大きいお友達が自慢の腕前でカメラを構える。自分もあわててスマホを取り出し、焦点を合わせた。
きららちゃんは3回ポージングをしてくれた。さすがトップモデル、どのポーズも様になっている(写真1)。

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(写真1)きららちゃんのモデルポーズ、その1。残りのポーズは今日の思い出ということで私の胸とスマホの内にしまわせてほしい。

大きいお友達と共にきららちゃんを眺めている内に、自分の胸の鼓動が速くなっていることに気づいた。それは恋にも似た拍動。
いや、まさか……だって着ぐるみだぞ、ヒーローショーで披露されるようなアレだぞ。そう自分に言い聞かせるもどこか落ち着かない。
ポージングを終えたきららちゃんは用意された椅子に座り、一人一人にサインを書いて渡していった。その椅子に座る姿も様になっている。ああ、現実のきららちゃんならそういうポーズを取るだろうな。まさにそういう感じなのだ。足を揃えて右斜めに傾ける。モデルのきららちゃんの振る舞いが目の前で繰り広げられている。段々と自分が何を見ているのか分からなくなっていった。
あともう数人できららちゃんにサインを書いてもらえる、その時。きららちゃんと目が合った。きららちゃんはサインペンを手にしている。すると何を思ったか、自分の方に向けてサインペンで何かを書くような仕草をした。空中に描かれたサイン。それがきららちゃんのサインだったのか、はたまた星やハートといった記号だったのか、今となっては分からない。
だが重要なのはそこではない。きららちゃんが目の前に現れた。そんな気がしたのだ。
そりゃきららちゃんはサイン会の最初から登場している。そういうことではなく、アニメや漫画や映画で描かれるきららちゃんという〈イデア〉が、着ぐるみに宿って具現化したような、そんな印象を抱いたのだ。
この瞬間、自分の心はノックアウトされてしまった。きららちゃんの虜になってしまった。ヒーローショーに足繁く通うオタクの気持ちが分かった。着ぐるみという姿にキャラクターは宿るのだ。それはさながら霊媒師が依代に神降ろしをするような。シャーマンキングで言えば、着ぐるみの中の人への憑依合体、もしくは着ぐるみ自体へのオーバーソウル。
サイン会に参加してよかった。心からそう思えた。きららちゃんの本当の姿を拝めただけで充分だった。

……思いの丈をひたすら書き続けた後に、一旦筆を止めて冷静になって気づいたけど、めっちゃ気持ち悪いな、この文章。
気持ち悪くて仕方がないので、着ぐるみヒーローショーの魅力という一般的な話題に高次元化して話をまとめてしまおう。
子供の頃、ヒーローショーは滑稽な存在だと思っていた。でもそれは浅はかな考えだった。ヒーローショーの着ぐるみにキャラクターが宿る。そして動き出す。着ぐるみは依代であり、それ自体を見ていても何ら見えてこない。依代が纏う雰囲気、空気感、それを味わってこそヒーローショーの醍醐味と言える。着ぐるみヒーローショーは霊媒が繰り広げられる場なのだ。子供の頃はそれに気づくことが出来なかった。でも今なら言える、視える。キャラクターの〈イデア〉が着ぐるみという依代に憑依する、その姿が。

最期にきららちゃんのサインを載せておこう(写真2)。一生の宝物になった。

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(写真2)きららちゃん(キュアトゥインクル)のサイン。恐らく「Go♡プリンセスプリキュア」と書かれている。少しだけ欲を言わせてもらえれば、「キュアトゥインクル」もしくは本名の「天ノ川きらら」でサインしてほしかった……。


……もっと短く終わらせる予定だったのが異様に長くなってしまった(8000字弱)。
この記事の内容を某国民的アニメの次回予告風に要約するならば、「①プリキュア本編に見られる青春要素、②保護者の視点から観たプリキュア映画、③着ぐるみきららちゃんの神降ろし、の三本です」にでもなるだろうか。
三つ目の内容なんかは上手くまとめれば短編小説になるかもしれない……受けは良くないだろうけど。

この記事を書いていて、プリキュアから物語論民俗学的考察へ本格的に深められたら楽しいだろうな、と思った。しかしながら如何せん知識量が圧倒的に不足している。自分の専門分野以外の学問とも格闘していかなければ、と痛感したのでした。めでたしめでたし。